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【手記】うららちゃん、どうしたの?わが子はアンジェルマン症候群[後編]

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我が家の末娘は稀少遺伝子疾患であるアンジェルマン症候群。幼稚園での他害行為を起こすようになったことをきっかけに幼稚園の園報にて、わが子の障害について連載をさせてもらうことになり、これが2回目の掲載になります。

前回同様、この連載をさせていただくにあたり、わたしには「娘が障害児だから特別視してください!」という気持ちは全くないことをお伝えしておきたいと思います。ただ、世の中の全ての人が健常ではないということ、障害者がこの世の中でみんなと同じように普通に生きているということを少しでも知っていただければそれで十分だと思っています。どうぞよろしくお付き合いください。

ここまでの記事はこちらから>>>【手記】うららちゃん、どうしたの?わが子は案ジェルマン症候群[前編]

 

【2歳~3歳】ひまわり園・幼稚園入園まで

幼稚園は障害児を受け入れてくれるの?

うららの障害がわかってから数日後、私はある幼稚園を訪ねました。幼稚園によっては障害児を受け入れられないところもあると聞いて不安にかられ、2年、3年先になるかわからないけれど、うららは上の兄姉達と同じように幼稚園に通えるのかどうか、まずは園長先生と上の子たちがお世話になったF先生に相談してみようと思ったからです。

両先生にお時間をいただき、うららの障害が分かるまでの経緯、疾患名、具体的な症状、それから親としての想いをすべて聞いていただきました。そして「毎日じゃなくても構いません。週に数回だけでも、うららをこちらの幼稚園へ通わせてもらえませんか?」と、本当にすがるような思いでお願いしました。

すると、園長先生とF先生は「何も心配しないで良いから連れていらっしゃい。一緒にうららちゃんを育てていきましょう。」そう仰ってくれたのです。涙が溢れて止まりませんでした。本当にうれしかった。感謝以外の言葉が見つからないくらい。そこで私も奮起したのです。受け入れてくれると言ってもらえたのだから、親としてうららが入園するその時まで少しでもできることを増やしてあげなければと。

入園準備開始!まずはわが子の障害を知る

それからは、毎日、インターネットや本などでうららの障害、療育、これからの成長について調べました。「知らない」ということが最大の不安材料だったからです。同じアンジェルマン症候群のお子さんを持つママのブログを読み漁り、どんな風に育てていけば良いかを探ろうとしました。でも、いくら読んでも、実際に動き出すきっかけがつかめませんでした。このままでは、時間ばかりが過ぎてしまう!そんな焦りから「とにかく動こう!動いて手当たり次第、チャレンジしよう!」と考え方を変えることにしました。

横須賀市療育相談センターでの療育開始

まず最初に私が起こした行動は、当時、通院していたこども医療の遺伝子科の主治医に横須賀市の療育センターへ紹介状を書いてもらい、受診することでした。療育センターでの診断や面談をもとに、PT(理学療法)とOT(作業療法)の訓練を月に2~3回受けることになりました。更に、同じような障害をもつ子どもの親子教室があれば通いたいと申し出て、2歳までの未就園児クラス「らっこ教室」を紹介してもらい、月1回通いました。

初めてらっこ教室へ行ったときのことは今でも鮮明に覚えています。色々な障害をもったお子さんとお母さんたちと出会うことで、どんなに重い障害であっても、こどもはお母さんが大好きで、お母さんはどんなに大変な日々の中でも溢れんばかりの愛情をもって我が子を育てている、そんな姿を目の当たりにすることで、それまではうららと私だけだった世界が大きく広がり、私自身の意識も大きく変わりました。

コミュニケーションの問題はろう学校へ相談

「少しでも多く専門の先生の指導を受け、ゆっくりでいいから成長していってほしい。」そんな想いがその頃の私を動かしていました。療育センターにコミュニケーションの訓練もお願いしたいと相談しましたが、まだ先で良いとの返答。その理由について説明は受けたものの、当時、療育センターにはうらら以外にアンジェルのお子さんはいなかったこともあり、他のお子さんと同じ療育でいいのだろうかという疑問がぬぐえずにいました。

そんな折、次男の小学校のママ友にろう学校へ通っているお友達がいること、ろう学校では1歳からベビーサイン等を教えてくれるひよこ教室というのがあることを聞き、すぐに紹介してもらいました。ろう学校では写真カードの使い方やマカトンサインなどコミュニケーションの方法を細かく教えてもらうことができました。そうやって自ら動くことしか、私がうららのためにできることがなかったこともあり、とにかく必死で動きました。

入園に向けて着実に成長してくれたうらら

結果的に1歳半から3歳まで通い続けた療育センターのPT、OT、らっこ教室(2年目はひよこ教室)、ろう学校のひよこ教室(今は教育支援)の全てがうららの成長に大きなプラスになりました。そして、歩くことすら難しいと言われていたうららですが、自立歩行も出来るようになり(初めて2、3歩の独歩が出来たのはうらら2歳5ヶ月、なんと!母である私の誕生日でした)、入園に向けて少しずつ、でも着実に成長してくれました。

そして年少さんからひまわり園に週2回、幼稚園に週1回、ろう学校に週1回通う新しい生活が始まったのです。

 

【3歳~4歳】ひまわり園と幼稚園の併行通園(年少)

入園前に療育手帳を申請!

療育センターの親子教室からひまわり園と幼稚園に入園することが決まりましたが、入園までに準備しなければならないことがいくつかありました。そのひとつが、療育手帳の申請です。

うららは2歳の誕生日を迎えた時点で全く歩行ができなかったため身体障害者手帳※を申請し、下肢2級の手帳を交付されていました。入園に際しては、療育手帳※の申請が必要ということで、発達検査を受け、IQ50以下という判定によりA2の療育手帳が交付されました。そして、その手帳のおかげでより多くのサービスが受けられるようになりました。等級によって異なるのですが、うららの場合は身体障害者手帳下肢2級と療育手帳A2を持つ重度障害児と認定されたので、具体的には高速道路利用料金が半額、おむつ代を月3000円まで支給、水道代が半額、そのほかにも障害者手当など…。加えて、児童デイサービスと移動支援の利用も可能となりました。(※Q&Aにて解説)

児童デイサービスで親子分離の練習

入園前にうららに私と離れて過ごす練習をさせる必要を強く感じていた私は、この児童デイサービスを利用して入園前の12月中旬から週1~2回、その練習を始めました。ひまわり園では年少さんは親子通園でしたが、幼稚園ではそうはいかない。せっかく受け入れてもらったのだから、なるべくご迷惑がかからないようにしなければ!

しかし予想はしていたものの、いざ児童デイサービスの利用が始まってみると、とにかく泣く!!毎回泣く!お迎えに来てもらい、自宅へ送ってもらうまで、ほとんど泣き続けていました。そのくらいうららにとって私と離れることは大変なことだったのだと思います。しかしそれは、私にとっても同じこと。児童デイサービスの利用はうららのためと割り切っていたつもりでしたが、毎回泣き叫びながら連れて行かれ、泣き疲れて帰宅する娘を見ているともう心が痛くて痛くて、私も毎回毎回泣いていました。
でもそれもこれも、幼稚園に元気に楽しく通えるようになるため。そして、これから先の長い人生の初めの一歩。最初の自立。そのために私も心を鬼にして自分自身を奮起させていました。そして、うららが泣かずに楽しく児童デイサービスの利用ができるようになったのは、幼稚園に初登園する直前でした。

最初は週1回の午前保育から通園開始

そして幼稚園への通園が始まりました。「4月は新しい年少さんもたくさんいますし、少し落ち着いてからにしましょう」と園長先生とF先生に助言をもらえたので、5月のGW明けに毎週水曜日の午前保育のみからスタートしました。両先生はとにかく私の考えるやり方での登園方法でかまわないとおっしゃってくださったので、私は安心してうららの様子やタイミングを考えて登園日や日数を決めることができました。

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結局、夏のプール保育前までは水曜のみの登園で、プール保育が始まるタイミングでお弁当の練習を兼ねて月曜日も登園させてもらうことにしました。

月曜登園を始めた頃はお弁当を食べた後、すぐにお迎えに行っていましたが、徐々に時間を延ばしていき、夏休みが明けてからは、月曜日と水曜日の週2回の完全通園ができるようになりました。思えば入園からこの頃まで、うららが幼稚園に泣きながら登園したのは数回のみでした。

療育はひまわり園で!年少は親子通園

一方、ひまわり園は年少さんの間は火曜日と木曜日の週2回の親子通園でした。

バスもありますが、私たちは車を利用して朝10時までに登園し、うららと一緒に教室に入り、まずはお仕度。最初にカバンの中のもの(連絡帳・給食袋・コップ袋)を所定の位置へ。どこに何を入れればよいかは、視覚的にわかるように箱にわかりやすく絵がついています。そして、着替え袋を取り出して、カバンはロッカーにしまう。

次に着替え袋を持ってパーテーションで仕切られている所定の場所で衣服の着脱の練習をします。そして、トイレへ行ってから、全員の支度が終わるまでおもちゃで自由遊びをして、その後、朝のおあつまり(はじまりの会)が始まります。親は子どもの後ろに座り、歌や手遊び、返事の練習、先生のお話を聞くなどの一連の流れを一緒に行います。そして、午前中の活動に移ります。この流れを毎回繰り返します。

活動の種類は多く、

  • 春雨に色をつけた物や片栗粉など色々なものに触ってみる感触遊びや制作
  • トランポリンやバランスボールなどを一緒に楽しむ運動あそび

などなど、目的に合わせて工夫を凝らしたものがいっぱい。

午前の活動が終わると給食です。ママが子どものとなりに座り、介助をしながら食べさせます。子どもたちの給食が終わると、お母さんたちは別室でお昼休憩になります。この時間は貴重で、多くのママと仲良くなれました。その後、クラスへ戻り、午後の活動、帰りのあつまりをして14時に降園となります。
ひまわり園では1日の予定がわかりやすい写真カードで掲示されていますが、それは子どもたちが視覚的に1日の流れを把握できるように配慮したもの。活動と活動の合間には排泄のあるなしに関わらずトイレへ連れて行き、便座へ座る習慣をつけるなど、すべての活動にその子に合わせた目的があり、そうした身辺自立につながる訓練を積み重ねていくことが療育なのです。

こうして、うららと私は幼稚園とひまわり園の親子通園を併用しながら年少さんの時期を過ごしました。

【4歳~5歳】ひまわり園と幼稚園の併行通園(年中)

幼稚園のお誕生日会に参加させてあげたい!

年少は親子通園だったひまわり園も年中さんからは単独通園になります。幼稚園と同じように、バスポイントまでは親と一緒、園バスには1人で乗ることになるのです。

そして私には幼稚園の通園日に必ず木曜日を入れたいという思いがあったのでひまわり園にその希望を伝えました。
というのも年少の時はひまわり園の親子通園日が木曜日だったので、いつも木曜日に予定されている幼稚園のお誕生日会には一度も参加できなかったからです。当然、うららは4歳のお誕生日会も欠席。年中さんではお誕生日会も園特製のカレーも経験させてあげたい!そして、月水はひまわり園、火木金は幼稚園に通園することになりました。

年中になってまたグンと成長

年中さんになり、うららと離れている時間が大幅に増えたことで、私はまたひとつ子離れ親離れの時期に来ているんだなと強く感じました。今まではすぐ隣にいて、すぐに手を差し伸べることができたのに、これからはうららの成長を少し離れたところから見守るという環境に変わっていくのです。当然不安もありましたが、本人の成長にはとても大切なこと。「親が不安な気持ちでいたら子供にも伝染してしまう!」と、自分に言いきかせました。そしてやっぱり子供は逞しい!そんな親の心配をよそに、うららは年中になって今までとは比べものにならない程のスピードで成長を見せてくれました。

頻発する他害行為、親としての思い

実際、年中さんになって間もない頃は、環境の変化に順応するのにも時間が必要でした。発語のないコミュニケーションのもどかしさに苛立ち、感情のコントロールができず、お友達への他害行為も頻発しました。

他害を与えてしまったお友達には本当に申し訳なく思っています。園にも大変なご迷惑をかけてしまいました。そして、それでも寛容に対応してくださったみなさまには心から感謝しています。周囲のみなさんのおかげで、うららも少しずつ新しい通園環境に慣れ、お友達とのコミュニケーションも自然とできるようになってきました。言葉がないことが子供同士の関わりにはあまり影響しないということも教わりました。

お友達からたくさんの刺激をもらった園生活

さらに、まねっこが大好きなうららは幼稚園のお友達を本当によ~く見ていて、お友達の真似をすることで、これまでできなかったたくさんのことができるようになりました。
私がそばについて何度も繰り返し教えるよりも、何倍も速く覚えてしまいます。園での行事がある度に、うららの成長に驚かされ、「え!?こんなこともできるの?そんなことできるようになったの!?」と嬉しさと感動で涙ばかりがこぼれます。

周りのお友達と比べてしまえばまだまだできてないことはいっぱいありますが、うららはうららの歩みで確実にひとつずつ進んでいます。そんな思いで改めて上の兄姉達の成長を振り返ると、そのスムーズな成長過程の中で多くを見過ごしてきてしまったなぁと実感。日々の子どもとの暮らしで、当たり前に過ぎてしまうことが実は当たり前ではなくて、かけがえのないものだという大切なことを私はうららに教えてもらったと思っています。

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▲そして、念願のお誕生日会参加!そして園特製のカレーも堪能!

 

これまでを振り返って、そしてここから…

以上、この手記もこれで現時点のうららまで追いつきました。ここまで、うららの成長記録にお付き合いいただき、本当にありがとうございます。

あくまでも私個人の考えだったり、感情だったりで偏ったところもあると思いますが、障害児やその家族がみなさんと同じ世界で普通に生活しているということをわかってもらえたら嬉しいなという思いで書いてきました。

うららはこの先、みんなと同じように年長さんになり、小学校へ上がり大きくなっていきます。きっとこれまでにはない困難にも直面するでしょう。親子で壁にぶち当たってしまうこともあると思います。でもそれは障害児でも健常児でも同じこと。その時、その時を楽しみながら共に歩いていこうと思います。

そして、私は「うららが私を母に選んでくれた理由がきっとあるはず!うららに教えてもらったこと、気付かされたことを同じように障害を抱えている家族と共有できないかな?」と考え、アンテナを張って色々と勉強してきました。そしてうららが引き合わせてくれた仲間と一緒に2016年4月にこの横須賀バリアフリー子育て情報局『sukasuka-ippo(すかすかいっぽ)』というウェブサイト立ち上げることができました。

普通の子育て以上に情報を得るのが難しい障害児子育てについて情報や共感を届けたい。障害児でも健常児でも子育ての喜びや悩みは共有できるはず! そんな思いでサイトを作っていきたいと思います。1人でも多くの方に見ていただければ幸いです。

また1年後に、この手記に新たなページを刻みたいと思います。どうぞよろしくお願いします!

2016.03.30

【手記 完】続きはまた1年後に!?

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