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【取材File】一匹狼の母ちゃんが娘のためにゼロから作った作業所、今や利用者100名!?『社会福祉法人 横浜愛育会』/横浜市神奈川区大口

今回お邪魔してきたのは、横浜市神奈川区大口で、就労継続支援B型やグループホームを運営する社会福祉法人『横浜愛育会』。

娘さんが障害をもって生まれてきたことをきっかけに、その将来を考え今自分にできることを探しながら必死に走り続けてきたという代表の松尾みち子さんが、障害者が地域の中で社会の一員として活動できる、また安心して暮らせる場所を作りたいという思いから平成12年に作業所を開所したのが始まり

そこから数を増やし、平成19年には法人を設立されました。町内会や自治会に参加することで地域の方からの理解を深めるなど、勉強になるお話をたくさん聞かせていただきました。

まずは【第1部】として、喫茶店からパン屋さんまで、見事に地域に馴染んだ事業所の数々をご紹介、
そして【第2部】では代表・松尾さんの愛育会立ち上げまでのエピソード、その思いなどをお伝えします。

【第1部・作業所見学】『おおぐち工房』をはじめとする数多くの事業所が大口駅周辺に密集!和気あいあいと活動する利用者さんの様子もレポート


▲JR横浜線「大口」駅。ここから2-3分歩くと…


▲横浜愛育会の看板が見えてきました!

喫茶店 ふれあいTOMO

時刻はちょうどお昼時。まずは腹ごしらえ!ということで最初に案内していただいたのがこちら。


▲喫茶・軽食とありますが…


▲メニューを見ると豊富なラインナップ!これは迷いますね~


▲お得な日替わり定食を発見。一同これに決定!



▲ボリュームたっぷり、どれも美味しくて大満足でした!


▲店内は明るくて広々。

パン工房ゆうき


▲にぎやかな商店街の中にあって、まさにまちのパン屋さんといった感じ


▲通りかかったお客さんが手にとりやすいよう、店頭に焼菓子が並べられていました

お店の中はパンのいい香り。





▲定番のパンから、少し変わったものまで、バリエーション豊かです!


▲売り場担当の利用者さんたち。「いらっしゃいませ!」と元気に迎えてくれました


▲パンの陳列や袋詰めがお仕事です。


▲こちらのミニロールは100円でなんと詰め放題!
実はこれ、10gずつ計った生地を練る・伸ばす・丸めるいうパン作りの基本作業の練習として利用者さんが作ったパン。無駄にしないように詰め放題で販売するというアイデアに脱帽!


▲買ったパンは店内でも食べられます。利用者さんが飲み物を出してくれるという嬉しいサービス付き!


▲工房の説明をしてくれた○○さん

こちらで働いているのは20名の利用者さんと7名の職員の方(非常勤含む)。常に5~6人で支援できるような体制をとっています。
利用者さんの特性としては軽度の知的障害の方で、パンが好きな仲間が集まっています!

衛生面には特に気を付けています

やはり食べ物を扱う現場ということで、利用者さんにもきちんと指導・徹底しているのは

  • マスクができる
  • 爪が切れる
  • 前日に頭を洗って来られる
  • 鼻はほじらない!

など、基本的なルール。

初めはマスクを外してしまう方もいらっしゃいますが、慣れて、ちゃんとつけられるようになるとのこと。


▲明日のパンを成形中。生地は2種類で、パンによって使い分けています


▲成形したパンはここへ。次の日の朝すぐ焼けるように、冷凍から冷蔵・発酵と段階的に自動で進めてくれる優れもの


▲高温になるオーブンは、職員だけが扱います。フライヤーも同じです


▲ガス抜きの機械。こちらは主に職員さんが扱いますが、一部の利用者さんも操作ができるそう


▲塊になったレーズンをほぐす工程も利用者さんの大事なお仕事


▲伸ばす・巻くという工程が難しいつくねパン。こちらを担当するのも利用者さんで、見事な手さばきに感嘆!

それぞれが自分に合った仕事にたどり着く

ゆかねこ(メンバー)それぞれ得意分野があるんですね。

職員さん  そうですね。こちらが決めるというよりは、それぞれが自分に合った仕事にたどり着きます。計量なども、こちらから「これをやってください」と頼んだわけじゃなくて、自分でそういう役割を自然に見つけているようです。

例えば、あちらで洗い物をされてる方は、あの場所によく行くので、結果的によく洗うように。あちらでカレーパンを作っている方はカレーパン作るのが合っている、喫茶にいる方は喫茶が…というように、適した仕事が自然に見つかるようです。


▲工房の奥には休憩用のスペース。ここで朝礼を行ったり、給食を食べたりします。
給食は第1工房からおかずだけ運ばれてくるので、お味噌汁とご飯を用意するのはここの利用者さん。後片付けやお皿洗いもします。


▲食器棚。それぞれの棚に食器のしまい方が写真で貼ってあります


▲カップもこのとおり、きちんと向きもそろっています。誰もがこの写真を見て同じように並べられるよう工夫されています。


▲壁には「約束事」の張り紙が。利用者さんのことは「メンバーさん」と呼んでいます。

おおぐち工房


▲こちらが入口。駅のほぼ横という通いやすい立地になっています


▲中ではたくさんの方が作業されています。席間も狭く、空間に対して人が多いという印象が新鮮でちょっと驚きましたが、みなさんきちんと着席して、声を掛けあい、時折、みんなで笑いながら、楽しそうに作業されていました。にぎやかだけれどもうるさくはない、ほどよい活気がある作業空間でした。

現在在籍されているのは25名、職員の方が7名とのこと。3種類の内職をしています。


▲割りばしを紙袋に入れて、最後にビニール袋に入れる作業


▲肩掛けショッピングバッグのひもを通す作業


▲作業の手が止まらない程度の談笑はOKなので、とても和やかな雰囲気!


▲タオルを畳んで、のしを巻き、袋に入れてテープでとめる作業。年末など繁忙期は、タオルが山積みになって壁のようになるほど!疲れたらちょっとひと休みw


▲ここにもありました!「やくそく」


▲メンバーさんへのあたたかい心遣いがうかがえます


▲はじめは利用者さんだけに描いてもらっていた顔の絵を、職員も描くことに。「やっぱり絵だと個性が出ますよね」と職員の方。

利用者さんは基本的には自力で通勤!やっぱり駅が近いからできること

こちらの利用者さんは、一部例外で送迎をしている方もいらっしゃるそうですが、ほぼ皆さんが自分で電車などを利用して通っているのだとか。このおおぐち工房をはじめ、すべての事業所が大口駅から数分。利便性が高く、通勤はもちろん、事業所同士の行き来もしやすくなっているので、給食を届けたり食器を返したりというやり取りもスムーズに行われています。

おおぐち工房 第2



▲可愛らしい立て看板にはクッキーの種類がずらり


▲▼14種類のクッキーと、6種類のスコーンを作って販売しています


▲こちらでは利用者さん20名、職員の方7名が働いていらっしゃいます。

  • 食品を扱うところなので、手洗いうがい・アルコール消毒を徹底。
  • オーブンや包丁を使うところ以外は、利用者さんが役割分担をして言わなくてもてきぱき作業ができるとのこと。
  • 計量や数字が苦手な利用者さんには職員がついて、一緒に最後の数字を確かめるなどしています。


▲この時はちょうど休憩時間。皆さんリラックスした様子で過ごされていました


▲みんなゲームは大好き!


▲道路を挟んですぐ向かい側にももうひとつ、『おおぐち工房 第2』分室があります


▲ここは給食を食べたり、みんなでわいわい作業するのが苦手な方、落ち着いた環境を必要とする方が作業するスペースとしても使われます。

100人で1泊旅行にも行っちゃう!その他余暇活動、レクレーションも

職員の方  毎年、会社全体で1泊旅行に行きます。100人くらいで。

一同  100人!すごい!!

職員の方  そのほかにも、年に2回はどこかに出かけてますね。繁忙期は特に、ずーっとやってるとストレス溜まっちゃうので、余暇活動として一日カラオケ入れたりという、リフレッシュが必要です。それで「また頑張ろうね!」って、みんなのやる気をあげて、忙しいシーズンを乗り切ってます。

作ったパンや焼き菓子は、外販もしています

市役所や市民病院、盲学校などで販売しているほか、各種イベントなどにも出店しています。
また、クッキーはインターネットでも購入できるそうなので気になる方はこちらをCHECK!

[横濱良品館]【おおぐち工房】ホテルレシピの手作りクッキー ギフトボックスセット(外部リンク)>>http://yokogoo.com/?pid=31805877

それぞれの工房には災害用の備蓄がしっかり

会社全体で、1人あたり10リットル程、約3日分の水を備蓄、簡易トイレも。各工房と本部に置いてあります。

・・・

【第2部・インタビュー】愛育会をゼロから立ち上げた松尾さん、その強烈キャラに圧倒!!

歯に衣着せぬ物言いがもはやひとつの大きな魅力として圧倒的な存在感を放つ愛育会の理事長・松尾みち子さん。
その勢いと人を牽引するパワーがあふれるお話をまとめました。


横浜愛育会理事長・松尾みち子さん(左)とsukasuka-ippo代表・五本木愛(右)

36歳、ダウン症の長女出産でがらりと変わった人生

松尾さん 私自身も以前は障害者と関わることはあまりなかったので、外で「なんかこの人、障害を持ったお子さんなのかな?」って、思うようなことはあったとしても、失礼だから側に行くこともしませんでしたよね。

だから36歳で出産した時に、医者からダウン症って言われても、「はぁ…ダウン症?何?」みたいな。そして先生から色々と説明をされた時に、病院で大泣きした記憶だけ残っています。

でもすぐに「泣いても何しても、結局、私がお母さんなんだから!」って思いました。
でも、なんでかな、私は誰かを巻き添えにする、助けてもらうという考えは持っていなかった。

それまでは、上の子(長男)は私立の学校に入れて英才教育して、そんなお母さんでいたはずなのに、変な言い方をすれば、長女のいくえが産まれたことによって、人生がガラリと変わっちゃったんですよ。あの子が産まれたから、人生が崩れたとか、そういうことではなくて、全く違う人生になった。

「松尾さんは怖かった!」と言うかかりつけの小児科医

松尾さん 長男は歳が離れているので、今、43歳で会社経営してますけど、それまでは息子のことしか頭にないわけですよ。そこにボコンと「この子、ダウン症です」って言われても、そもそもダウン症が何かわからなくて…。

私自身、障害に偏見を持っていたわけではないけれど、「んー。どうすんの?この子。」って正直思いましたよね。体が弱いから入退院を繰り返してたんだけど、今でもお付き合いのある大口東病院の先生が「松尾さんは怖かった!」って言ってますもんね。そりゃ怖かっただろうねー。夜中でも「いくえが死んじゃう!いくえが死んじゃうじゃねぇかよ!早く来て!」って呼ぶもん。そうすると、先生来るんだよね、東京から。

今でも、その先生が大口東病院にいるんだけど、その先生が「松尾さんね、俺がいる限りは小児科に来れば、俺がずっといくえちゃんを診るよ」って言ってくれたの。その言葉で「味方がいるんだ!」って思えたし、そこから私の人生が変わって、親としての責任を取るために何すればいいかを考え始めましたよね。

まずは幼稚園に入れる!!次は小学校!常に前例なし、だから全部自分で

松尾さん まず何をしたかと言うと、地域の幼稚園に入れました。その地域の幼稚園にどうしても入れたくて申し込んで、後日、幼稚園から電話をもらい、「協議の結果、いくえさんを受け入れることになりました」と電話をもらいました。

それで3歳から3年間、普通の幼稚園で育ってきた環境を記録に残すため、本を書きました。その当時は、あの子のことしか頭にないから。

幼稚園に入ると同時に「次は何をするのかな?」って考えたら、次は学校に上がらなきゃいけない。

地元の小学校に上げたかったから、支援級つくるためにとにかく走り回りましたよ。

前例なんてなかったから、まずは支援学級を作るために「これをしてもらうためには私は何をすればいいんですか?」って聞くんですよ。学校の人間も役所の人間もいい顔しなかったけど、人の意見なんて聞いてられなかったんです。

「何をするのか教えてくれれば、私が動きますから!」と必死!聞いては動き、聞いては動くで、やってきました。

お互いに戸惑いながらの学校生活とそこでの出会い

松尾さん 結局、小学校に上がるまでの3年間では間に合わなくて、結局、大口台小学校の1年は支援級じゃなくて、普通級に通いました。そして、この1年間が本っ当に大変でした。いくえ本人も、学校で思うようにいかないから、泣いて「嫌だ!」って言ってました。

周りは普通の子で、学校も障害児を受け入れたことがないから「なんだ、こいつ?」 みたいな感じで、お互いに戸惑っていたんですよね。だから、ほとんど私が付き添っていました。ところが、現在、うちで働いてもらっている方が、その当時、大口台小学校の教員やってて、その先生がいくえを担当してくれたの。「どうしてこの先生、こんなにうちの子を見てくれるんだろう?」って思ってたら、ご自分のお子さんも障害者だった。

大口台小学校に通わせながら、6年後には養護学校に入れなきゃいけないということで、そこも全部1人でやりました。

常に一匹狼でやってきたけど、徐々に手伝ってくれる人が…

大口台小学校の時は、大変でしたね。支援学級を作ったはいいけど、他に入ってくる子がいなかった。そりゃそうだよね、募集しなきゃ入ってくる子はいないでしょ?

私は、それまであの子のために、町内役員を30年やってきたんですが、そうやって地域で集まっている時に、段々と障害児を持ったお母さんが「うちの子、○歳なんだけど、いずれ大口台小学校に入れたいのでお手伝いします」って言ってくれるようになって、そこから少しずつ変わってきました。

なにしろ、不安もありながら、常に一匹狼で、「私には味方がいない!」って思ってやってきていたから、手伝ってくれる人が出てきてくれて「あー!良かった。お手伝いしてくれたら心が温かくなるわ」って。

要望を言い続けるだけじゃない、自分もやる!全部やる!

松尾さん 一方で、偏見の目で見られたりということもありました。でも、私と会うとみんな嫌な顔はしないんです。私が町内役員をやってたから反発もできない。

署名を取ったりは一切せず、必要なことは全部、声を上げて言い続けてきました。大口台小学校に行っても言い続け、みどり養護に行っても言い続け、でも、一方的に言うだけじゃなくて、その代わりに役員は全部やってきました。働きながらで、余裕なんて全然なかったけど全部やってきました。

そうなると、とてもじゃないけど結婚生活は無理に決まってますよね。別に離婚したことを後悔しているわけじゃないですけど。

作業所を立ち上げるときもゼロから!バザー品集めてこつこつと…

松尾さん ここを立ち上げる時は、お金が一銭もなかったんです。全くのゼロからだったし、当時もらえた内職の仕事もショッピングバッグを作ったって0.◯円だし、とてもじゃないけど施設建てるなんてお金はない。

だから、まずバザー品を集めました。とにかく、物を集めてバザーをやっているところに持ち込むんですけど、そこでバザーの申し込み金を払わなくちゃいけない。あれは大変だった!

地域の方々の協力も得ながら、ひとつひとつ乗り越えてきたので、今は淡々と話せますけど、当時は忙し過ぎて、振り返る時間もなかったから、正直、よく覚えてない。寝たら朝、寝たら朝…という生活だったかなぁ。

いくえにも小学校1年生でお留守番させなきゃいけなかった。「いくちゃんのために、お母さん頑張ってんだから、ちゃんとお家で待っていようね。」って言い聞かせました。でも、ちゃんと待ってましたね。

自分の目指すところは、あの子が安心して暮らせる場所を作ること。

松尾さん それで作業所を立ち上げたのが平成12年。

職員も定着せず、苦しい思いをしながらも第1、第2、第3…と、利用者の希望もあり、毎年のように立ち上げました。

以前は『ふれあいTOMO』が大口通商店街でボロボロの喫茶店をやっていたんですけど、平成16年にちょうど立ち退きの話があったのも法人化の追い風になった。その立ち退き話がなかったら、ここはできていませんよ。その立ち退きで得たお金も資金にして、平成19年に社会福祉法人となった。私自身は何も得してないけど、会社はその後も毎年のように建てて、現在は9か所!

会社がうまくいくと職員は勝手なこと言う、もちろん感謝してるんだけどね。

松尾さん 法人化して経営が安定すると、職員も給料の面だとか色々言い出すんだけど、そう言われると私、口が悪いからつい「お前達のためにやってんの?」って文句ばっかり言ってんの。本当は感謝してるんだけどね。よく私みたいな人間についてきてくれているなと。そう思いながらも、心の中ではどこかで「私は休みなく働いてんだ!」って思ってる。こういうバカな人間だからやっていけんの。

そんな感じで、トントン拍子で毎年、毎年ずっと立ち上げてきました。

なぜここに?地域の町内役員をやって30年、愛着がある!

松尾さん 「なぜこの大口で?」というのはよく聞かれるんですけど、この地域で30年間、町内役員をやってきたっていう実績があって、ここに愛着があるからなんです。誰1人として私のやることに文句を言わない。「代が替わっても、全部協力しますよ」と言ってくれています。そう言っていただいているお陰で、今の私がふんぞりかえっているわけです。

大変と言えば大変ですけど、それぞれの地域や状況で建てるものについては、それぞれ障害を持った方たちが、しっかりとした考えを曲げなければ通じるものはある。私だって助けられたんですよね。億なんてお金はないのに、タイミングで1千万でできちゃったのも運に助けられたし、そのタイミングに間に合うように本当に助けられて、助けられて、タイミング良く作れた。

今だって「松尾さん、余計なことばっかりして!」と思ってるかもしれないし、「こんなところに9か所も作って!」と思ってるかもしれないし、それはわからないです。
でも、開所式も大勢の方が顔を出してくれましたし、今の理事の方も、ほとんど地域の方です。福祉の専門の方を入れなきゃいけないので、もちろん入れてますけど、それはそれ。ほとんどが地域の方です。私がいるうちは言わないでしょうね。自分があと、どれくらい頑張れるかわからないけど、今のところは役員もやってくれて、全面協力です。

また、法人の方も協力してくれるようになりました。うちのパンやクッキー等を販売させてもらったり、相手の自主製品をうちの事業所で販売したり、お互いに持ちつ持たれつでやっています。

予想していなかった人生。今は障害を持っている利用者さんたちに囲まれて最高に幸せ!

松尾さん とにかくパワー!パワーだけ。それは、やはり娘のためだろうね。

あの子がいたから、「お母さんが頑張らなきゃ!」って、それもそうだし、36歳で出産したというのもあるし。今までに障害を持った人たちと接する経験がなかったし、自分に降りかかってくるって考えてもいないじゃないですか。でも、今は障害を持っている利用者さんたちに囲まれて最高に幸せです。本当に幸せです。

お買い物も、高島屋だってSOGOだって平気で連れていきますよ。足を振り上げて歩いているわけじゃないし。お金さえあればいいじゃないですか。普段は無駄遣いしないんだから!高島屋を堂々と歩いてると、みんな振り返って見るけど、「この子たちが可愛いから振り返ってくれてるんじゃないの?」って言っちゃうよね、私!(笑)

それと、高島屋もSOGOも顔なじみだから、知らない人がいないの。「こんにちは」って言われるしさ。
だってゾロゾロ連れて歩いてんだもん。

障害があったって可愛い格好させてあげたいよね。保護者のみなさんも何気に喜んでますよ。お金がない人は仕方ないけど、お金があるんだったらね!

預けるならうちに任せて!自分がやるなら最後までやってください!

松尾さん それに、うちは親には一切、口出しさせないです。
「うちのグループホームに預けたら、うちに任せてください。自分がやるんだったら、最後までやってください。」って。

少しだけ口出すっていうのが面倒くさいんで、「口出しすんな」って、そういう主義なんですよ。グループホームとか入ってるんで、職員はいるし、お金がゼロになっちゃまずいけど、悪いことはしていませんからね。

親御さんだって、「松尾さん、おっかないけど面白い」って喜んでますよ、たぶん。私も親だから、同じ親の立場でものを言うし、保護者会でも私が出ていって親に言うべきことは言いますし。

いっぱい功績を残して、私が死んだ時に「うるせーババァいたな」って言われるんじゃないかな。

そんな経緯をまとめた本があります!

松尾さん 娘を産んでからですよ、そんな気持ちになったの。本にまとめてあるので、役に立つかな?押し売りではないんですけど、よかったら読んでみてください。

・・・

『社会福祉法人 横浜愛育会』の基本情報

法人本部

〒221-0002 横浜市神奈川区大口通138-12
TEL/ 045-433-1134
FAX/ 045-433-1372

就労継続支援B型 地域作業所

おおぐち工房

横浜市神奈川区大口通134-10 クレール石田1F
TEL/ 045-308-7419

パン工房 ゆうき

横浜市神奈川区大口通2-1 モデスト大口1F
TEL/ 045-401-5422

おおぐち工房 第2

横浜市神奈川区大口通139-17
TEL/ 045-434-1065

喫茶店 ふれあいTOMO

横浜市神奈川区大口通138-8
TEL/ 045-421-5714

グループホーム

生活ホーム愛美

〒221-0002 横浜市神奈川区西寺尾1-13-1
TEL・FAX/ 045-401-8890

生活ホーム愛美Ⅱ

〒221-0061 横浜市神奈川区七島町100-3
TEL・FAX/ 045-435-1767

生活ホーム愛美Ⅲ

〒221-0061 横浜市神奈川区七島町131
TEL・FAX/ 045-433-2761

生活ホーム愛美 こころ

〒221-0002 横浜市神奈川区大口通30-23
TEL・FAX/ 045-434-0085

生活ホーム愛美 ゆめ

〒222-0026 横浜市港北区篠原町1117-17
TEL・FAX/ 045-402-6883

sukasuka-ippo代表・五本木愛の視点

今回、取材で伺ったのは横浜のJR大口駅前で複数の事業所を展開する社会福祉法人横浜愛育会さんですが、そもそもの始まりはお母さん業界新聞横須賀版の編集長をされている田中さんからのご紹介。その田中さんからのご紹介でまずは横浜で活動されているNPO法人 祐愛のみなさんとお会いして情報交換。その祐愛さんから更にお誘いをいただいて今回の取材が実現しました。まさに人のご縁によるものです。

そして、地元との繋がりを確固たるものとし、幅広く運営をされている松尾理事長にたくさんの貴重なお話を伺うことができました。

松尾さんは、まだまだ障害福祉のサービスもままならない時代にダウン症の娘さんが産まれ、それにより「我が子の将来は自ら作る!」という強い信念で福祉の道を切り拓いてこられました。そしてその想いと行動が、大口というひとつの街を『障害者と共に生きる街』に変える原動力になったのだと思います。

松尾さんのお話を聞いた後、改めて横須賀市の障害福祉に目を戻すと、この横須賀でも大先輩保護者の方々が今の横須賀の福祉の礎を作ってくださったことに思い当たります。横浜も横須賀も、そしておそらくどこの自治体でも、今日の障害福祉の土台の多くは保護者の想いがその核にあることを今回の取材で改めて学ぶことができました。

そして幼少期の障害児を育てる私たち世代は、今後、何をすればよいのでしょうか。今はまだわからないことだらけで、どうしても受け身になりがちですが、これまで大先輩方が築いてこられた福祉の土台をさらにより良いものにしていく努力をする責任が私たちひとりひとりにあるのだと強く思いました。


▲(左から順に)視察で同行された横須賀市議会の小幡議員、ゆかねこ(メンバー)、横浜愛育会の松尾理事長、五本木愛(sukasuka-ippo代表)、NPO法人祐愛の竹中理事長、プルデンシャル生命保険株式会社の原川さん

・・・

取材日/ 2017.01.23
取材/ 五本木愛・ゆかねこ・pototon
写真・加工/ pototon・ゆっぴー
テープ起こし/ kayo
文・構成/ Yuka Kaneko・takeshima satoko

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『自分たちが足りないと思うこと、欲しいと思うものを自分たちで作り上げていく』を現実に!夢を1つずつ叶えるために!
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