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【対談】横須賀おやこ劇場・杏の会などを創設・新井信子さん×五本木愛・sukasuka-ippo代表>>おかしいことには遠慮なし!バッサリ切り込む横須賀のご意見番!

対談 新井信子さん▲新井信子さん(左中央)と五本木愛(左奥)

みなさんは1983年に創設された『横須賀おやこ劇場』ってご存知ですか?

児童青少年の健全育成を図ることを目的とした演劇鑑賞と自主活動を行う子育ての会『横須賀おやこ劇場』の現在の会員数は約600名。この横須賀おやこ劇場の創設者であり、創設時は400名だった会員を最大4000人まで増やしたどえらい行動力の持ち主、それが今回の対談のゲスト・新井信子さんです。

その横須賀おやこ劇場はすでに世代交代で後継者に託されたということですが、新井さんのフィールドの広さたるやそれだけにとどまらず、ここにもあそこにも出没!?

訪問介護・家事援助等の在宅福祉サービス事業を柱としたNPO法人 杏の会を立ち上げ、代表理事を務めていたという新井さん。「実は私自身が介護してもらおうと思って作ったのにまだまだ元気!山とか登っちゃうしw」とご自身がおっしゃる通り、本当にパワフルでマシンガン!

舞台裏を明かせば、今回は初めてメンバー総出でテープ起こし。切れ目のない濃厚トークは35,000字をゆうに超えるボリューム。本当に鍛えられました!
起こした文字からもみなぎる新井さんのパワーをそのままお伝えしたく、あえて口調はそのまま生かしました。

なお、今回の対談には被災地・福島から横須賀に戻ったばかり、政治家にチャレンジする加藤裕介さんが同席されています。

活動的な新井さんの人物像に迫る・笑顔の裏に根差す悲しみ抱え…でもやっぱり笑顔、特大の笑顔!

対談 新井信子さん
▲新井さん(中央)のお話に引き込まれる一同

若いころは順風満帆、初めての出産で失ったかけがえのない命

五本木 今日はありがとうございます。もう何度か新井さんとはお会いして、色々なお話を聞かせていただいていますが、とにかく明るく活動的でいらっしゃる新井さん、今日は新井さんが今までやってきたことや思いを中心にお伺いできたらなと思って、対談をお願いました。よろしくお願いします。

新井さん 私、3歳の時から親に連れられて宝塚に行ったり、言ってしまえば順風満帆でした。青春時代はちょうど学生運動が激しさを増していたのに私はそれを横目で見ていた。連れ合いと3年間付き合って結婚。最初の子を妊娠したときにすごく喜んで嬉しくて、家の近くの医者にかかったら、医者がたまたま東大医学部卒でアメリカ留学から帰国、最新の出産ができるというので、自然分娩ではなく今でいう予定出産をすることになったのね。何月何日に出産することをあらかじめ決めておいて、当日、入浴して自分で荷物を持って入院し人工分娩。

そしたら、予定外のことが起こって、それが臍帯脱出、つまりへその緒が先に出ちゃった。医者は、とにかくおごっていて失敗なんてないと思ってたところにそんなこと起きちゃったものだから大変よ。初産だからお腹にもう一度戻してと言っても間に合わない、それで24針縫ったのよ。すごいでしょう。本人は訳分からないんだけれど。

産室の前に連れ合いも母も姉もいて、血だらけの医者が話に行ったのね、赤ん坊と私、どちらを助けますかって。それまで、一度も私を名前で呼んだことなかった人が、その時だけ「のぶこ頑張れ」って言ったのね。

結果的には、その子はもう助からなくって、1週間、連れ合いが会社を休んで一緒にいてくれた。その時に事務局長、女の人だったのに、「またすぐできるわよ」って言った。でもその悲しみって…、うち夫婦喧嘩ってあまりしたことないんだけれど、そこが共通してるから、みんなそうでしょ、夫婦って。この体験だけは他の人にはわからない、子ども失っての悲しさというのは。

でも当事者にとっては、死んだ子はかけがえのない、その子だけなの。それがわかるのが父親になろうとしていた人だけでしょ?だからうちは少々気に入らないことがあってもお互い、まぁまぁ~いいやっていうところがある。

次の子は頭血腫、その次の子は先天性の心臓病

新井さん で、その次に今度は女の子ができたんだけれど、難産の後遺症で産道がふさがっているというので、病院に通って通水をして、これがまたすごく痛いの!それで、やっとこさ産んだら、その子が頭血腫で、びっくりしちゃって!1カ月位触っちゃいけないっていうのよね。

で、その次に生まれたのが男の子。そしたら、その子は先天性の心臓病だった。肺動脈弁狭窄症っていって、穴が開いているのは自然治癒があるのだけれど、うちの子の場合は手術しないと30歳で動けなくなるって言われて、それこそずっとこども医療センターに通って、5歳の時に手術したんです。幼稚園生よね、手術前日に、何食べたいと訊いたらたこ焼といって29個食べたの!29個よ!

五本木 すごいですね。

新井さん だけれど、その時初めて息子が言ったの、「ネネ(お姉ちゃん)はしないのに、どうして僕は入院して手術しなくちゃいけないの」って。で、手術当日は私心配で手術日を挟んで3日間で1日1キロづつ痩せました。心臓ですから生か死かなんです、人工心肺ですから。

無事に手術が成功し、落ち着いてから1年に1度の検診に親もついてこども医療センターまで通ったの。でも、中学生になった息子が、そのうちひとりで通いたいって言いだして、主治医も1人で通ってもいいって言うけれど、朝の通勤ラッシュって混むのよね。でもまぁ、順調に通っていました。

その後、就職に際して健康診断書を出す時、体内に残してある金具と手術のことがひっかかり、他でもう1回検査を受けてきてくれと言われていた。普段元気だけれど、やはり何が起こるかわからない、医者が大丈夫だという証明をするわけじゃないし、そういう意味では親もずっと付き合って行かなくちゃいけないのかなって思った。でも、その後、息子は教員になって結婚して今は2人の子持ち。

こども医療センターに通ったことでわかったこと

新井さん 息子も結局、中学までずっとこども医療センターに通っていたけれど、あそこに通うと、子どもでもいろんなことが大体わかるんですよね。それに加えて、おやこ劇場と異年齢の子どもたちとのキャンプ経験もあるから、息子も教員として少しはいろいろな立場で考えられるのかなって。

私、3人の子どもの出産を通してそれからはずっと「いのちさえあればいい~」が子育てのポリシーなので、「勉強しなさい」って1回も言ったことないから息子は喧嘩もしたし、コマ回しで暗くなるまで帰ってこない、そういう子だったのよ。

運動のきっかけは息子が1年生の時、担任が1年でコロコロ!?

新井さん 子どもっていうのはいろんなことが起こるじゃない?うちの息子が小学校1年の時、担任の先生が産休に入ったの。それはいいことなんだけれど、そのあと1年間で何人担任が変わったと思う?

五本木 1人で済めばいいですけどね。

新井さん それが7人よ!今は1クラスの人数も少ないし、学年ごとにサブの先生がつくようになっているけれど、当時は違いますからね。人数は多いし、担任がコロコロ変わるから大変だったのは子どもたち。で、新しく来た先生が口々に「このクラスは落ち着きがない」とか言うわけさ。誰のせいだって言いたいよね。

その1年生の時に交通事故にあった子や、怪我が絶えなかったり、勉強は遅れるし、子どもたちはいろいろなことを背負ったけれど、教師はどんどん替わるので責任持たない。でも親はずっと一生その子を見ていくわけでしょ。で、そのときに私は、個人の先生を責めるのではなく、学校教育の在り方や制度が何だか変じゃないか?って思って運動を起こした。

数学者・遠山啓という人が創った教育雑誌『ひと』があって、その中に読者が地域で開く『「ひと」塾』があって、私も横須賀でそれを開いたの。
「ひと」塾の全国大会(合宿)があって、それに近所の子どもたちも連れて参加したり、その授業も本当に楽しかった。例えば、理科の授業で体重計に片足上げて乗るのと両足で乗るのとではどちらが重いか?とかね。「ひと塾」を通してクラスのお母さんたちがすごくまとまって、いろんなことで動いたのよね。

今も続く『おやこ劇場』創設者としての顔

社会のおかしさに気付くためには感性が必要

新井さん そもそも社会を変える力って、まずは「それっておかしいんじゃない?」って思うところからだと思うし、それを捉えられるのは、やっぱり感性ね。それは、決して学歴でもないし、どこに生まれどこに育ったからでもないし、能力でもないと思うの。それで、おやこ劇場を創ったの。生の舞台を見て、子どもの豊かな感性を養うっていった時にそれはやっぱり芸術だから。でもいい絵ばかり、いい芝居ばかり見せていてもだめなの、様々なものを見て初めて、いいものそうでないものがわかってくるのね。

おやこ劇場のためにお母さんも行政も市議も団結

新井さん だから当時、全国で展開されていたおやこ劇場を横須賀でもやってみないか?ということで、色々な人から声が掛かって。すごかった!当時のお母さんたちが頑張って頑張って、おやこ劇場を創るためにたくさん運動したの。
当時の市長さんも会員になってくれました。

  • 子どもたちのために文化会館、はまゆう会館の優先使用を認めてもらえた
  • 今の文化会館にあるベビーベッドも私たちが要望してつけてもらった

とか、当時は行政の人もたくさん会員になっておやこ劇場の活動を支えてくれた。芸術劇場ができる前の模型の段階でも話を聞かせてくれって呼んでもらったりもした。ホール付きこども劇場を作って欲しいという請願には、市議の協力もあって常任委員会では全議員賛成で可決した。残念ながら実現はしなかったけれど。

例会は最初1年にステージが4本、会員数400人ぐらいのところから始めて、徐々に低学年と高学年を分けてそれぞれ5,6本ずつステージ数も増やして、たった10年で2600人の会員を集め、その後、三浦にも広げて最終的に劇場を横須賀市内に3つ(事務所は市役所近くと野比と久里浜)、会員は4000人近くまでいった。

遠い所の劇団を呼ぶときは、他の地区とコースを組んで交通費を節約したり、色々な劇団を呼んで、バレー・くるみ割り人形や中国からの天津雑技団も子どもたちは本物の舞台を見ることができたの。。

立場の違い、見かたの違い、大人も子どもも色々、それがいい!

新井さん それこそ行政に関わる人も議員もみんなが応援してくれたし、みんなそれぞれ考え方は違っても、1つだけ「生の舞台を通して豊かな子育てを!」それだけは一致、それでいい。

子どもだって同じ舞台を観たってそれぞれ反応が違うんです。圧倒的多数がここが良かったと言っていても、中には違う部分に注目する子がいる。例えば、ファーブル昆虫記ってあるじゃない?あれを舞台でやった時、他に目立つ場面はいくらでもあったのに、1人の子の感想にフンコロガシが良かったって書いてあった。フンコロガシは隅っこで控えめに出ていただけだった。でもそれ読んで「あぁそうか…なるほどなぁ」ってこちらが教わった。その子にとってはフンコロガシがものすごい印象に残った主人公なのよね。

おやこ劇場に関わるお母さんたち、すごく楽しそうだった!情報交換もできる

新井さん そして、すごく仲間も増えていって、やっぱりお母さんたち「すごく楽しかった」って今でも言うのよ。それこそ不登校の子も発達障害の子もいっぱいいたし、そうゆう悩みを抱えていたお母さんたちでも、劇場があることで子どもも観にくるし、お母さん同士でもいっぱい話ができる。励ましてくれるし、「字が書けない」という悩みがあったら、「いま字書けなくたって、そのうち書けるから!いろんなものあるし、そっち教えてあげたほうがいいじゃない?こういうのもあるよ」って情報交換できる。みんな抱え込んで閉じこもれば、「これもできない。あれもできない、ダメだ…」ってなりがちじゃない?でもみんなで話せば情報寄せられるじゃない。

今のおやこ劇場については、私たちほぼ世代交代したので詳しくはわからないけれど、中身は色々と変わって会員600人くらいとのこと。

子どもは社会的存在、だからひとりで抱え込まなくたっていい!

生まれてくる方も産む方も命がけ

新井さん 一番最初の子どもを亡くすまでは、「万が一」とか「案ずるより産むがやすし」と言われていて、自分はその万分の一にはならないって、私も高をくくっていたけれど、やっぱりぶつかるんだ。でも、自分がそうなってみて初めて自分の身に起こったことが、いや私だけじゃないんだっていうことに気づくし、案ずるより産むがやすしじゃないんだってわかる。やっぱり「産む」ってことは双方、生まてくれるほうの子も産む方も命がけ。

子育ての社会化、ひとりで抱え込む必要なし!

新井さん やっぱり子どもは宝、絶対に。で、どの子もダメな子いない。変な子いない。捨てる子いない、どんな子もね。どんなに反抗して、どんなに手を焼いて、もう難病だらけでも、それでもかわいい、生きてる存在そのものがかわいい。やっぱり子どもを持つと苦労があるじゃない、だから社会に目が向くよね、もう必然的に。それでお友だちができる、そうよねって言える友ともだちが。だからそれは、喜びだと思う。子どもが4人いれば4倍。とはいえ子どもを持たない人も、別のフィールドで子どもの領域での活動を頑張っている人たちはたくさんいて、強力な援軍ですから。それはやっぱり武器にして誇りにして、それから希望よ!この3点が大事!ね。

子どもは社会的存在と私は思っている。で、これを都合よく使って、そうだ!私だけの子じゃないんだ。だから、五本木さんちのうららちゃんだって、ちょっと困ったなって思った時は、「そうだ!新井さんちの子どもだ!」って思えばいい!「市長の子どもだ!」とかね。だって社会を形成してるのは私たちひとりひとりだから。子どもは社会の宝。責任はみんなで持つ、子育ての社会化と思った方がいい。自分だけだと思わないで。私にやれることがあれば言ってね!応援しているから。

sukasuka-ippoは壁を壊せないかもしれないけれど、垣根なら低くできる!?

新井さん さらに言うと、このsukasuka-ippoは障害児のお母さんたちで始めたサイトだけれど、結局のところ障害を持とうと持つまいと違いはないのよね。私たちが自分の身に置けばわかるじゃない?障害を持つとか持たないとか、人生の間でどうなるかわからないじゃない?この頃では柔道や組体操の授業とか交通事故を含めて、誰にでも等しく可能性はある。対岸の火事じゃないわけ。いつ自分の身に起こるかってね。

皆さんのサイトもよく見せて頂いています。あのお父さんの手記とかお子さんの絵日記なんか、とっても面白くて良くできているので本にできるじゃない?それこそ皆さんの体験とかもね。それからこれは是非言った方が良いと思うけれど、みなさんの経験で、例えば壁にぶつかっている人とか、垣根のある人も、壁を壊せなくても垣根を低くすることはできるかもしれないでしょ。ゼロにはできなくても。最初は10センチずつ低くしていってと希望をすてないで。

対談 新井信子さん

障害の有無も年齢も関係ない、子育てはみんな同じ

新井さん やっぱり、こどもを大事にしない社会には未来はないと思っているの。だから、あなたたちにも言いたいのは、障害のあるなしで分けてしまわないほうが良いってこと。分かるよ、確かに障害を持っている違いや大変さはあるものね。

私はこの歳になってわかることがある、人が生きる上で障害のあるなしって物理的な問題で、みんな同じ。だから、できないことを補ってあげれば良いの。それだって大きくなったら不必要なことになるかもしれないでしょ?

ここまで生きてきて、今が一番幸せだって言ってる。確かに歳をとることで、できないことは増えてくる、それは当然。だけれど、周りが勝手にばあさんだと思っているだけで、私自身の本質は若い時と変わらない、勉強も40代・50代が一番吸収出来た。それは経験値があるから。20-30代はまだまだだけれど、40-50代になると、実践活動でも日常生活でもストンとおちる。なるほどこれがそうかって。確かにジェネレーションギャップはあります。でも夫や子どもを思う心は万葉集の時代から変わらない。そうでしょ?だからこどもを育てるというのは、みんなそう変わらないと思うの。

だから、障害児であることだってマイナスばかりじゃないし、たとえば特化した能力があるから他が必要なかったっていう考えもあるでしょ。ただ、そうはいっても世の中がそうじゃないのも事実だけれど。

今は不登校の問題も全国で100万人超。もしかしたら、支援という形で囲っちゃってるのかも…

新井さん 今はもう、不登校の人たちが全国で100万人を超えて、横須賀でも若者支援があるけれどもそれを囲ってしまうのは、もしかしたら自分たちじゃないかと思うのね。

だから私、皆さんの活動、すっごく尊敬してるの。フットワーク軽いし、カミングアウトしてるじゃない。あれがものすごくいいと思うの。協力したいと思ったって何していいかわからないし、同情なんかしてくれるなと思うでしょ。でも力は貸してほしいでしょ。金も欲しいでしょ(笑)

自分たちから発信していくときに、初めて受け手もわかる。相互理解の始まり。

ひとりひとりのお子さんの状況は違う。じゃあ、私たちに何ができるかって。
例えば、すごくわかりやすい例、難聴の人にとって、字幕や、手話等々、どんどん良い方向にきている。でも、「聴こえません」って言ってくれなければ、その必要性があることが周りにはわからない。その他にも不自由な事への支援が社会的に少しづつ良くなったと思う例のひとつに全駅エレベーターがある。

でもいろいろなこと言っているけれど、実際にはハードもソフトもバリアフリーの知見、意識を持てるか?って。じゃあどうしたらいいか、ひとつの例、過去のケネディ大統領は、妹が障害を持っていたので、障害者への対策にものすごく力いれていたと言われている。そういう政治家を私たちは選んでいきたい。

抱え込む必要はない。あたしなんか、みんなに押し付けちゃう(笑)

新井さん 子どものことって、子育てが終わると当事者意識がなくなり他人事になったり、男は、どこか女に任せればいいと思ってるところがある。だけどそうじゃないって。

是非是非、いろんな機会でそれぞれの視点から知ってもらう努力はしてほしい。肩肘はらないで、頑張らなきゃいけないとこは頑張らなきゃいけないけれど、抱え込む必要はない。でも責任感が強い人程、抱え込んじゃうお母さんって多いんだよね。

あたし違うから、みんな押し付ける(笑)超有名!

一同 爆笑

新井さん だから、自分ができないことができる人はすごく尊敬しちゃう、昔連れ合いのズボンの裾上げをやろうと思って、アイロンで貼るあれあるじゃない?私表にやっちゃったのよ、そしたらそのズボンもうだめになっちゃって(笑)ことほど左様に私は不器用なの。

でも私ができないことをやれる人が圧倒的に多い!そういう人たちに是非、その力を借りたいしやって欲しいと思うわけ。だから全部、押し付けるわけね。押し付けられるほうは、みんな不幸だと思ってるみたいだけれど(笑)

歳とったらみんな同じ!障害者が暮らしやすい社会はみんなが暮らしやすい社会

新井さん 今、おやこ劇場の時の相棒が地域で「ゆいの広場」をつくって、高齢者の助っ人活動をしている。おやこ劇場の卒業親はみんな福祉の領域でいろいろ活躍していて素晴らしい。当然ですよね、子育て卒業すれば、次は自分の問題だから。私も「杏の会」を自分が介護してもらおうと思って作ったんです。でもちょっとまだ死ななくて(笑)元気で(笑)山なんか登っちゃうしさ!

極端な言い方したら、みんな歳とったら障害者。そして、障害者が暮らしやすい社会は、健常者も暮らしやすい。女性が暮らしやすい社会は、男性も暮らしやすい。そこが目指すところじゃないの?だって、一番困っている人に合わせて困っていることを補う、埋めていく、そういう社会って誰にとってもいいじゃない!

子どもを支えるのは地域と親と学校!親はもっと前に出て恥をかけばいい

五本木 あ、私も鴨居小で副会長やってますけど、本来PTAの役割っていうのは、先生に育ててもらうところでもないし、親だけが育てるところでもない。みんなで、学校に通う間だけでも、親も参加して、子どもが育つ環境を一緒に支えていこうよっていうのが目的ですよね。

新井さん そう!地域と親と学校とその3者で子どもを健全に育てていく目的がPTA。でも、今はそんなのどこかにいっちゃってるでしょ。

五本木 そうなんです

新井さん 実際には学校の応援団というか、学校の下請けになっている。そして、本来は任意加盟なのに、みんな強制加盟だと思ってるでしょ。私たちのときはみんなで委員をやったけれど、今もその時の仲間と付き合いがある幸せ。今はみんなやりたがらないから、フルタイムで勤めている娘の子どもが通った小学校は6年間のうち委員を1回はやるとか決めていて、一方、中学の懇談会に行ったら誰もいなくて委員を引き受けたと言っていた。

そして、PTAや人前に出てこんなこと言ったら嫌われると言う人もいるけれど、どんどん外に出て発言して、恥をかけばいい。背中かくより楽だよ、恥かいたほうが(笑)

一同 たしかに!(笑)

新井さん 年とってよかったことのひとつに、「忘れる」ってことがあって、大事なことも忘れちゃうけれど、嫌なことも全部忘れる。そんなものなんです。切り傷だって、かさぶたになるじゃない。だけれど、言いたかったことを言えなかったっていうのはずーっと残るからね。だから言ったほうがいいよ。

そこから、結構、「私は言えなかったけれど、あなたが代わりに言ってくれて嬉しかった」っていう人が出てくるから。PTAでもなんでもそう。そこからお友だちになっていけるし、それは自分次第。

私ずっと思ってきたのは、10人いたら、10人が賛成したり共感するはずないんだと。半分がいいと思ってくれたら、御の字。でもみんな欲張りだから、みんながいいって思ってくれないといやだって、スリーストライクを狙う、そして様子見しちゃう。

でも周りを見たら、変なこと言う人いっぱいいるって!!でも、自分だってそう思われてきているし、いろんな人に育てられてきてるわけじゃない?これ年寄りの知恵。

五本木 いや~、すごく勉強になります。

新井さん ならないならない。マイナスが多い(笑)でもみんな基本的に自己中心的。客観的なんてないんだから!だったらもう、独りよがりは考えものだけれど、自分に都合よく解釈すればいい。

私は一番最初の子を亡くしたからこういう生き方でここまできたのよ。あの時、最初の子が予定通りだったらここにいないと思う。全然違う生活をしていたと思う。人間の岐路って必ずあるわけで、人生の中で私はそれが早くて良かったなって思っている。良い出会いがいっぱいできたじゃない?出会いってそういうことだから。皆さんとも絶対知り合えなかったと思うよ。

最後にみなさんに贈る言葉。決して自分から壁を作らない!決めつめない!

新井さん 決して自分から壁を作らない。決めつけない。腹立つことなんて山ほどあるって。それはみんなのものにすればいい。うんと悪口言いな!良い子ぶらない。

私がsakasaka-ippoの素晴らしいと思うのは、仲間に共通点があるからある意味では絆が強いわけ。そこは頼っていいし、自慢していいし、やれるっていう確信になるじゃない。仲間同士の相互の信頼感は実戦に結びつく要、これがあるかないかで結果が違ってくる、だから課題があればできる人にやってもらえばいい。

sukasuka-ippo代表・五本木愛の視点

新井さんとは別の機会に何度かお会いしていました。いつも笑顔で気さくに話しかけてくださって、このsukasuka-ippoについても日頃から応援してくださっています。何度かお会いするなかで、もっとたくさんのお話を伺いたいと思い、今回の対談をお願いさせていただきました。

新井さんが歩んでこられた道、子どもたちの心を育むために尽力されてきた活動。地域も含めて子ども達を育てていく大切さ。何よりどんな活動にも楽しんで関わっていくその姿勢と行動力に学ぶところがとても大きかったです。自分たちももっと頑張らなければと気持ちが入りました。

「自分たちがやり遂げたいことがあるならなりふりかわまずやりなさい!格好つける必要はないのよ。何かあった時は声をかけてくれれば力になるから!」と仰ってくださる新井さんの言葉が響くのは、新井さん自身が母として子育てをしながらそれを言い訳にせず、逆にそれを力に変えて進んでこられたからこそ。喝と励ましが胸に刺さりました。

新井さん、貴重なお時間をありがとうございました!

同席された加藤裕介さんの感想

この社会は、健常な人(この言い方自体もどうかなって思いますが…)を前提として、すごい緻密にシステムが組み上げられてますけど、それってそんなうまくいくわけないし、一番典型的なのは外国の方を連れて来た時で、例えば新幹線でも、英語でアナウンスするのはいいけど、切符には一言も英語の表記がない。そういうこまかいことひとつをとっても、ちょっと工夫するだけでもうちょっと良く暮らせるのに。なんかもったいないなと思うことが多いです。

そういう気づきを拾う立場であり、住民の代表というのが議員であり、そういう人たちで構成されているのが議会。だから僕は、そういう生活の気付きを議会へあげていくということをやっていきたい。

子育てをしている皆さん、障害児の親である皆さんの目線でいろいろと気づいたことを教えていただけると嬉しいです。

・・・

2016.11.14
対談/新井信子さん×五本木愛
同席者/加藤裕介さん、misa、yoko、pototon
テープ起こし/五本木愛、ゆかねこ、misa、reiko、Kyoko Aoyagi、ゆっぴー、がらっぱち
編集/ takeshima satoko

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