大きな地震や災害が日本で相次いだここ数年、南海トラフ地震の影響に警鐘が鳴らされ、海に面した立地であるここ横須賀でも、障害児者の防災についての議論が施策検討連絡会や各団体で活発に行われています。
みなさんは地震が来たらどこへ避難しますか?
どのような避難生活を送ることになるかイメージできていますか?
今回の学習会の講師・赤松さんは全国に1800ヵ所超の作業所等の会員を有するきょうされんの常務理事というお立場で障害者制度改革など幅広く活動されていますが、2016年4月に発生した熊本地震に際してはJDF熊本支援センターの支援に入り、現在も1ヶ月に1回、その活動を継続し、熊本地震の実態を見ていらっしゃいます。
ボリュームはありますが、主催の障害者施策検討連絡会からこの貴重な学習会の内容を記事にする許可をいただきました。熊本地震の事例の中から、まずはご自身に関わるトピックだけでもご覧いただき、防災について考えるきっかけにしていただければと思います。
2016年に発生した熊本地震とはこんな地震でした
熊本地震が発生したのは
1回目は4月14日18時過ぎ
2回目が4月16日夜中の1時頃
日付で見ると1日空いてますが、現地の皆さんの実感としては2晩連続の大きな地震だったということです。
今までにないタイプの地震!?
1回目が前震
2回目が本震
という、今までなかったタイプの地震ということでの驚きもあったそうです。
もともと九州は、経験上は地震が多い地域ではなかった!?
九州というのは元来、地震の多い地域ではありませんでした。だから熊本の人も台風への備えはなさっていても、地震が来るというのは経験上想定していなかった。
もちろん阿蘇山もあるし活断層もあるので、今から思うと備えは当然しておくべきだったということもあるんですが、経験上は地震の少ない地域であったわけです。
日本全国を見渡しても災害が多い
■95年の阪神淡路大震災
■2011年の東日本大震災
■そしてこの熊本地震…
■その間にも新潟や鳥取で震災
■昨年は岩手でも大災害がありました。
日本列島でどんな災害が起きてもおかしくない、そういう事態であります。
この熊本の地震を受けて、きょうされんの九州メンバーは改めて危機感を喚起しました。
南海トラフへの警鐘、海の近い横須賀と備えに対する思いを共有したい
ましてや、こちら横須賀も南海トラフの危険も差し迫っていますし、海が近いこともあり、備えに対する思いは強くお持ちだと思うんですが、そんなことを一緒に考えていく時間にしていければと思っています。
・・・
実際の震災直後の様子を『JDF熊本支援センター』の視点から振り返ります
JDF(日本障害フォーラム/japan disability forum)について
・この団体は、日本の主だった13の障害団体の中でおそらく一番大きな障害団体だと思います。
・きょうされんのような事業所団体、当事者団体のみなさんが多く加盟しています。
・主に日本が障害者権利条約を批准するのに向けて長年活動を積み上げてきました。
・その取り組みの中で、2011年の東日本大震災をきっかけにして災害の問題にも取り組むようになりました。
01.被災地までは常に相当な大渋滞
地震発生後、18日には第一陣としてJDF九州のメンバーが福岡や鹿児島から駆けつけました。
通常なら福岡から高速に乗って博多あたりから熊本市内まで車で1時間半~2時間のところ、この時は7~8時間かかりました。常に相当な大渋滞でした。
02.ホームセンターから消えた必要物資(水とブルーシート)
当初、被災地からは水とブルーシートの要望が多くありました。なので、福岡や鹿児島のホームセンターから水とブルーシートが消えるという事態が起こり、買って持っていこうと思ってもそれができませでした。
03.まずは現地の作業所に集結!支援の第一歩は現地の情報収集
- 集まったJDFのメンバーはまず現地の作業所に集まり、現地の情報を収集するところから始めました。
- 全国からメンバーが到着したのは翌週23日からだったと思います。
- JDF九州のメンバーと合流後、熊本市内または益城町、御船町などいくつかの町について、まずは手掛かりになる作業所や当事者のみなさんを頼りに当たっていくことになりました。
04.「うちも大変だけど、益城に行ってあげて!」現地の皆さんの気遣いはより被害の大きな益城町へ
この時、印象的だったのは、益城町の隣町の御船町に伺った時のこと。
山が崩れ作業所にもひびが入るというような被害を受けているにもかかわらず、御舟町のみなさんが被害の規模がそれこそ別格だった益城町を気遣われて、「大変やけど、うちは益城ほどではないからね。だから、益城に行ってあげて!」みたいなことをおっしゃるわけです。
災害の時に被害の大小だけで状況をみないこと!
個別の被害の状況をきちんとつかんでいかないと、「じゃ、益城に行きます!」ということにもなりかねない。
だからこそ、色々な地域への目配せ、一軒一軒への目配せと言うのは確かに大切なんだと感じた場面でありました。
05.震災当初、障害のある方のご自宅を全戸訪問!?
【熊本市内の手帳保持者は約4万人、うち福祉サービスを利用していない9000人を対象に訪問活動】
- 熊本市には約4万人の手帳所持者がおられました。
- その中で普段から福祉サービスを利用している人を除いた9000人分を対象に個別訪問。
- 福祉サービスを利用している人はそこでカバーできるやろう、65歳以上は介護保険でカバーできるやろうということで対象から外しました。
- 我々JDFも一緒に回ってみたら、障害者の方がわんさかいてはりました。
しかし、手帳所持者4万人から今回訪問した9000人を単純に差し引いた残りの3万人は、僕たちはカバーしてないわけで、それ以外に困っている人も多分おるんやろうという思いが残ります。
全戸訪問が実現するまでの経緯
・全戸訪問を主導したのは地域で相談支援事業団体として実績のあるNSK(日本相談支援専門員協会)さん
・行政(熊本県・熊本市)はまず、このNSKさんに障害のある方の名簿を一定の条件を付けて開示なさいました。
・しかし、そのNSKさんには全戸訪問をやるためのマンパワーがなかなかなかった。
・そこで全国からマンパワーを集めることが得意なJDFがお手伝いさせていただくことに…
訪問対象の9000人の中でも、実際会えたのはだいたい半分くらい
やっぱり会えない方が多かったんです。
2回目もしたいというお話もしたんですが、NSKさんは通常業務もあるので7-8月には完全撤退されました。
そこでJDFとしては、引き続き熊本市に全戸訪問を相談したんですが個人情報の問題で「NSKさんには名簿提供できたけれども、JDFは勘弁してほしい」というふうにおっしゃるんですよね。
06.作業所『にしはらたんぽぽハウス』では食事を作るという支援
熊本で一番被害の大きかったのは熊本市益城町で、その隣の西原村にあったのが『にしはらたんぽぽハウス』でした。
- こちらの作業所では、牛骨をチェーンソーで切って出汁をとり、牛骨ラーメンを作っているのですが、これが本当においしいです!
- また、こちらはご飯を作るのが得意だったので、地域の拠点として食事提供なども行っていました。
- 通常ならこの食事提供の支援をなさっている職員さんが、災害時の利用者さんのお宅を訪問しながら支援しなくてはいけないということで通常業務にかかる支援が必要でした。
閉鎖を余儀なくされた作業所もありました
西原村にあったもうひとつの『はらっぱの家』という作業所は、震災によって作業所がつぶれたこと、作業所に向かう道が完全に陥没してしまったことにより通所の手段がなくなってしまい、最終的には閉鎖せざるを得ない状況になりました。
07.職員の配置が薄くなった『ワークセンターやまびこ』を支援
こちらの作業所は、
- 震災の影響で壊れた建物を修復し、利用者の皆さんも比較的元気でいらっしゃいました。
- ただ、職員さんが支援活動の中でけがをされたり、ご家庭の事業で転居を余儀なくされたりということで、職員体勢が急激に薄くなってしまった。
- 利用者の皆さんは比較的元気でしたが、余震が続く中で怖くて眠れない、震災の記憶がフラッシュバックして怖いなど、そういうことを支援員に訴える方が多かったということもあります。
- 薄くなってしまった職員配置、そこを埋めるためにJDFで支援に入らせていただきました。
・・・
『被災地障害者センターくまもと』は現地の方、当事者のみなさんが立ち上げ、SOSにとにかく応える!!
震災直後に現地の皆さんや当事者のみなさんが立ち上げた団体もありました。
それが障害のある方からSOSが出たらとにかく駆けつけて何でも対応しようということで活動している『被災地障害者センターくまもと』です。
具体的な活動内容は…
- 地震で散らかってしまった部屋の片づけは障害のある方はなかなか1人では難しいので、支援員が行ってごみを焼却センターに運ぶところまでお手伝いしました。
- 屋根にブルーシートを掛けてほしいという要望に対しては、支援員が屋根に登るのは危険が伴うため、専門業者を紹介しました。
- 訪問ヘルプも機能していなかったので、通院に同行しました。
- 驚くことに、2017.02現在でも罹災証明書がまだ取得できていない方がいます。これが実に大変で、今でも要請があればお手伝いに行きます。
- 他にもごみの焼却にかかる費用の減免など、役所の手続きはやはり障害のある当事者、特に1人で暮らしていたり老齢世帯の方にとっては、書類をそろえて手続きをすることが本当に大変なんだと実感。
- 支援者が同行したり、必要な書類がなんであるかを聞いてくるといった支援がどれだけ必要かを改めて思い知らされました。
- その他、とにかくありとあらゆることをやりました。
避難所で使われていた『熊本の畳』は有効活用できる!?
震災が起こると、体育館などでの避難生活に備えて、全国から畳が避難所に届きます。そして、実際に使われた畳は、体育館などの大きな避難所の閉鎖によって、大量にダブつくことがあります。その使命を終えた畳について、我々のような支援センターでも数枚活用させていただいていますが、東京あたりでもぽつぽつ「熊本の畳」というのぼりを見かけることがあります。あれはおそらくそういった畳だと思いますので、活用されると有効利用になるかと思います。
・・・
震災後の避難生活はどうなるの!体育館から仮設住宅、車中泊やテント村も
[地震発生当初]町内の小学校、集会所など、避難所はあちこちに点在
直後の大混乱期は、誰がどこに行ったか、避難所で顔を見たということはあるにせよ、家族同士が会えるかどうかという状況。
【職員さんたちが必死で探されるので作業所の方は安否確認がスムーズ】
- 日頃から作業所を利用している皆さんは作業所の職員さんが皆さんワーッとまず安否確認をしますので、まだ、早くに状況がつかめました。
- 中には違う避難所におられたり、車中泊をされたりということでなかなか見つからない方もいるんですが、それでも作業所の職員が必死で探されるので見つかることがある。
- そういう意味では社会資源に繋がっている人の場合は、状況をつかむのは比較的やりやすいというのが客観的事実としてありました。
ただ、障害のある方の中でいったいどれだけの方が社会資源に繋がっているかと考えた時に、作業所に通っていない地域の障害をお持ちの方はいったいどうされているんだろうと…。
避難所を回ってもなかなか障害のある方と出会わない…
最初に小学校やら体育館やら、僕らも当てがないので、とにかく行って回るとなかなか障害のある方と出会わないんです。もちろん運営されている方と話もするんですが、警戒されているってこともあると思うんですけど、「こんなに会わへんかなぁ?」と思うぐらい、会わなかったですね…。
障害をお持ちの方の多くは避難所にいられず、家に帰ったり車中泊
後で聞いたら、「避難所に行ったけど、ここは、あかん」って家に帰ったとか、多かったのは車中泊なんですね。熊本はホントに車中泊が多かったです。
■発達障害をお待ちのお子さんが家族におられる方
■精神障害の方
■重度の知的障害の方
■避難所のような環境では大きな声が出てしまう方
■あるいは、そこにいるだけで安定できない方
車中泊は物資もなかなか届かない
とにかく熊本の場合は、そこらじゅうのスーパーの駐車場や公園など、指定されていない場所で車中泊が見られましたが、避難所として指定されていないと、物資もなかなか届かない。もちろん家族の人が避難所に残って車中泊だったら、物資は届きますけどね。
大きいコンテナのようなトレーラーハウスが登場!活用できた方には良い取り組み
それから今回、熊本で登場したのがトレーラーハウス。
大きいコンテナみたいなトレーラーハウスをいくつかの団体の方がご用意なさって、冷暖房も完備されていて、一家族が住めるような特別なトレーラーハウスを何台もあちこちに設置されました。
何台もとはいえ、数に限りがあるので抽選
抽選で当たったら、車中泊からトレーラーハウスで家族だけで暮らせるように、いわゆる福祉的な避難所のような形で活用もなさってたと聞いています。数は限定的だったんですけど、活用できた方には、これはとても良い取り組みだったと思います。
一時的な避難場所としてテント村は非常に有効だった
- 特に地震発生直後の4月から梅雨前まで、あちこちにテント村ができました。
- 益城町の総合体育館の場合は、震災発生直後は体育館のアリーナ自体が相当被害を受けていて、避難所として機能できなかったので、修理するまでの間はテント村にしていたというのが実態でした。
- そうした理由で益城町の体育館のグランドは特に大きなテント村ができて、それは、もう本当に壮観ってぐらい、一面テントでした。
- 体育館の避難所では守れなかったプライバシーを求めてテント村に入っていたという方もいましたので、暮らしの場所としてはそこが一定の役割を果たしていたと思います。
ただ、梅雨の大雨前、その後の夏の暑さを考えると、それまでにはこのテント村を解消しようということで、益城町の体育館などは急ピッチで改修が進められました。
プライバシーが不十分だったと言う声もありましたが、個別のカーテンを引いたアリーナの避難所が設けられて、テント村から皆さんそちらに移られたことを振り返ると、テント村は一時的な避難場所として非常に有効だったと思います。
[夏頃~10月頃]小さな避難所は、最後は大きな体育館に集約
一番被害の大きかった益城町には総合体育館があり、大きな避難所として機能しました。(運営・熊本YMCA/2016.10に閉鎖)
プライバシーを確保するためにこちらの体育館では段ボールのポールを立てて、カーテンで色々な広さの仕切りを作られました。
これには賛否両論あって、
- カーテンで仕切られたことにより圧迫感があり辛いという方
- カーテンで視界は遮ることはできても音は筒抜け
などの課題が残りました。難しい課題であります。
【事例】ご夫妻の本当のご希望は障害のあるお子さんと3人で暮らすこと
パッと見はわからなくても継続的に関わることで初めて見えてきたニーズもありました。
体育館で避難生活をされているご夫婦によくよくお話を聞いてみたら、
■実はこのご夫妻には障害をあるお子さんがいて、もともとはご自宅で3人で暮らしていました。
■震災後、お子さんはなんとか緊急一時ができて、隣町の入所施設に入れました。
■ご夫妻のご希望としては、家には戻れないけど、アパートを借りてお子さんと3人で暮らしたいということがわかりました。
以上、見えないニーズがそこにあることを示す事例としてご紹介します。
【事例】避難所のある場所でいつもニコニコじーっと一点を見ている方は不審者!?
あるいは精神障害や知的障害の軽度の方で、例えば避難所のある場所に立って、ニコニコしながら、ジーッと一点を見るような人がいらっしゃるんですけど、周りから見たら「気持ち悪い。なんか変なやついる」みたいな話になる訳なんです。
これも理解不足の1つなんですけど、そういうことに関してメンバーが入っていって、話をしながら環境を和らげていったりしたこともあります。
体育館から仮設住宅へ人がどんどん移る中、最後に残ったのは高齢の方と障害者の方
- 8-9月から仮設住宅がポツポツ建ち始めます。
- 入居申し込みが進むにつれて、体育館から少しずつ人が仮設に移っていきました。
- 仮設だけでなく、早くに自宅を再建できた方も中にはおられたようです。
- 閉鎖目前の10月に入って、だんだん体育館がガランとしてきましたが、最後に残るのは障害のある方と高齢者。
そこで、我々JDFのスタッフも定期的に訪問して、話し相手になって、いろんな不安を聞きながら、仮設への入居のお手伝いを少しずつ進めていきました。
YMCAさんは熱心に良心的に運営されていて、最後のお1人、1軒が退去されるまで、一軒一軒の状況を把握して、我々にも情報提供してくださって、必要な支援をその都度やっていました。
[11月頃~現在]入口まではバリアフリー、室内は…?プレハブの仮設団地のバリアフリーの課題
一番被害の大きかった益城町には、全部で18の仮設団地がありました。
- スロープがついて玄関の前まではバリアフリーが実現していました。
- しかし、間口は手動の車イスでギリギリ入れるかどうかという幅。
- 玄関に2段の段差があり、車イスのままでの入室はできません。
- 室内も車イスでの移動はできないくらい狭い。
- 這って行ってお風呂に入ろうとするも、風呂の前にも段差があり、そこまでたどり着けないという状況。
- プレハブの仮設住宅の利用は2年という制限があるため、なんとか我慢してという声もあるが、2年間お風呂に入れない生活を想像してみてください。
- 明確な金額は覚えていませんが、プレハブ仮設に、後から手すりをつけたりというバリアフリー措置をするよりは、最初からバリアフリーを建てるほうが、予算はかからないと県の人が言っていました。(質疑応答より)
東日本の時のは、スロープも急すぎて使えなかった!?
スロープはそれでも東日本の時より、かなり改善されているんです。東日本のときスロープ付けたけどこんなん車イスで上がられへんやんけっていう傾斜やったんで、役に立たなかった。でも今回、スロープは角度がゆるやかになって、役に立ったんです。あとは中の造りを、なんとかせえへんと障害のある人が暮らせる仮設にならないんですよね。
仮設団地の運営のお手伝いをさせていただいた支援者としての視点
・2番目に規模が大きかった木山の仮設団地(運営/熊本YMCA)にJDF熊本支援センターもお手伝いとして入らせてもらいました。
・こちらの仮設団地には220戸/500数十人がお住まいになっていました。
・活動はどうしても昼間が中心で、支援員が動けるのは平日の昼間でした。
JDFの支援員のお手伝いの流れ
01.日曜日に熊本に入ってもらい、オリエンテーションを実施。
02.月曜日から金曜日に支援活動に入っていただく
03.土曜の午前中に最後のまとめのミーティングをやって終了。
平日の日中が主な活動時間になるので、みんな学校に行ったり、仕事に行ったりしていましたが、一方で、高齢化率が高いという特徴もあり、仮設団地でも住民の皆さんと交流を図り、孤立化させないということで、物作りをしたり、カラオケ大会をやったりという色々なサロン活動などで工夫なさっていました。
バリアフリーは完全でもコミュニティーに課題が残る福祉仮設住宅
- もともと3DKタイプの一般のプレハブ住宅を2DK仕様に変更しているため、面積は同じで部屋数を減らして1部屋の広さを確保していました。
- 間口も広く、入口のスロープも整備されていてバリアフリーは万全。
- 風呂場の段差は、本来、水回りのパイプを通すために必要とされているものですが、工夫をして全部フラットにしていました。
- 台所も車イスでそのまま入れるような仕様になっていました。
- 総じて車椅子の方の生活のしやすさをかなり考慮して作られた仮設住宅。
- ただし、これは益城町にある18の仮設団地のうちのわずか1つ。しかも、個数でいうと6戸のみ。限定的な団地ではありました。
内閣府の防災担当の方にも経験伝える
費用面の問題も考える必要はあるが、これを基本とすることでみんなの住みよさを確保できるんじゃないかな、そういうふうに発想を持っていけるとよいなと内閣府の防災担当の方とお話をするときもいつも議論しているところです。
【実例から考える】福祉仮設住宅への入居を拒否!?残るコミュニティの問題
この6戸の福祉仮設住宅について、益城町が必要な人をリストアップをしてお勧めされるわけですよね。でも、中には拒否される方もおられるんです。
あるご家族の事例をご紹介すると…
- お子さんは障害をお持ちで、車イスは大きいタイプを使用。
- 普通のプレハブ仮設に住んでいて、スロープで玄関までは行ける。
- あとは玄関で親御さんがお子さんを抱えて中に入り、車イスは外に置いておく。
- お風呂も親御さんが抱えて入り、湯船はもうお子さんも大きいので入れません。
- 洗い場で親御さんがお子さんを抱えながら体と頭を洗ったりなさる。
こうしたかなり負担の大きな介助の生活。震災前は広めのバリアフリーのご自宅で、全部車イスで動けたっていうのが、今はそんなふうになっている。
で、その親御さんに町の職員さんが「福祉仮設出来たからどうぞ」って言うたら、その方は拒否されたそうです。「なんでや?」って言うたら「今のところは辛いけれども、でもまわりには昔から一緒に住んでたおじいちゃんおばあちゃんや近所の人たちが一緒にかたまって住んでるんや」と。で「ここのつながりの方が大事であってね、できるだけ自分で解決します」っておっしゃるんですね。
福祉仮設住宅に要支援者がかたまることへの不安
福祉仮設は確かにバリアフリーの仮設団地てことで6戸作ったのは前進やけど、このエピソードを聞いてやっぱり思う。
これ、言うたら要支援者がかたまっちゃったわけですよね。なんかあったときに誰が助けるのって話ですよね。
【障害者権利条約でいうところのインクルーシブの観点が仮設団地の造り方にも必要】
障害者権利条約ていうインクルーシブの観点からすると、障害のある人たちだけでかたまるっていうことはどうなんやと。
- 前述の事例のように「私はこのコミニティで暮らしたいんや」というところも選択できるような仮設団地の作り方。
- 例えば、仮設団地にひとつふたつ福祉仮設があったらどうだろう。コミニティも維持できて介助もOK。
でも県の仮設団地の担当の方と話をすると「言ってることはわかるんだけどね、なんで障害者だけああいう広い部屋仮設住宅にできるんやという意見が出てくる」と。「特別扱いだと言うやつが出てくる」と。
- 確かにみんながえらい目におうてるという状況の中でそういう意見が出てくるのは、行政的にはあり得ること。
- ただ、障害のある人たちの困難さを共有できるような働きかけ、啓発活動というのも行政の仕事のひとつではないか。
- また、そういうことを住民の皆さんとも共有できるような自治の作り方は住民の課題ではないか。
こうしたことを平素からやっていくということが大事なんやないかなって僕は思うんですね。
【障害がある人もない人も全部同じにすることが平等?】
障害のある人は障害のない人と同じ暮らしをするためには、やっぱり一定の配慮が必要。これが合理的配慮なんですね。「合理的配慮をすることは差別ではありません、特別扱いではありません」というのが障害者権利条約に書かれていることなんです。
まだ私たちの国では、「障害のある人たちへの配慮=特別扱い」というふうに受け止められる向きが残っているというのが、まだまだこの社会の現実なんかなぁということを考えさせられました。
関連記事>>【学習会レポート】差別ってなんだろう?合理的配慮ってなんだろう?障害者権利条約と障害者差別解消法/講師・赤松さん
その他、支援にかかる課題をトピック毎にご紹介!
[熊本市のすごいところ]比較的早い段階で一定の条件下で手帳名簿を開示
- 熊本市は、視覚障害と聴覚障害の方について、特に当事者の手帳名簿を比較的早い持期に開示。
- その手帳をもとに各団体の皆さんが、5月の早い段階から独自に名簿にある方を訪問して、安否確認をなさっていました。
これは大した取組みだなと思います。
手帳・名簿情報は外部からの全国団体には開示されませんでした
行政のみなさんがこのように一部の障害に関しては日常からのつながりがあるということで手帳を開示されたんですが、我々のような全国団体が外部から入っていく場合、県も市も手帳・名簿は開示してくれませんでした。最終的には相談支援専門員協会に手帳情報を開示し、それを通じて我々もお手伝いをさせていただくかたちをとらせてもらいました。
『SOSチラシ』の配布は苦肉の策でありながら、電話が1日80件という一定の成果
全戸訪問ができないとなると最後の手段として、
- 被災地障害者センターくまもとが作っている「どんなSOSにも応えます」と呼びかけるチラシを熊本市の費用で4万人の手帳所持者全員に送付するということが、一応実現したんです。
- チラシを送るだけで効果あるんかなというのがありましたが、訪問の道が断たれた以上、われわれもそれを飲みました。
- でも、結果的にはこのチラシも一定の効果があり、8-9月くらいは最高時で1日80件くらいのSOS電話が被災地障害者センターくまもとに、わっとかかってきました。
だからあの時はほんまに忙しかったですね。でも、それでも自分で電話できる人、あるいは電話しようと思える人は障害のある方全体の中でいうとまだ少ないと思うので、まだまだ我々も忸怩たるものを残しています。
チラシ送付の費用対効果を考えると…
でも考えてみると、4万通となると一通80円の切手使ったら300万円以上かかる計算で、それが税金でまかなわれる。ぼくらが行ったらタダで済むんです。我々JDFに訪問さしてくれたらええのにってお話はしたんですが…。
個別訪問の活動では、手帳に反映されていない障害をお持ちの方の存在が浮き彫りに…
個別訪問をする中で、まずは手帳の情報を頼りに行うんですが…
- 知的障害のAさんの手帳情報を頼りに訪問する。
- 行ってみたら名簿には名前がないけれどお父さんも障害者だった、あるいはご兄弟が精神障害だったなんていうおうちがたくさん出てきているんです。
- 手帳名簿を頼りに行くんですが、手帳に反映されていない、手帳を持たない障害をお持ちの方がたくさんいることがわかりました。
- 特に精神の方は、自分で手帳を取りに行くことを拒否されることも顕著にありました。
このように個別訪問活動を通して、日頃から支援の谷間にあった方たちの存在が次々と浮かび上がったというのが率直なところであります。
障害のある方の存在はつかめても、切実なニーズに応えられない
ただ、浮かび上がってきた人たちに対して支援がちゃんとできたかというとこれがまた難しかったです。
つまり、この人たちを福祉サービスにつなげるにはまずは手帳をとるなどハードルがあるんですが、この人たちのニーズはこの段階ではまず福祉サービスよりもそれ以前の、例えば家を片付けてほしい、ビニールシートを張ってほしいなどのニーズが切実だったんです。
「ブルーシートは張れない…」/相談支援センターができるのは福祉サービスのみ!?
僕たちが開いていたJDF熊本支援センターでも実際にこんなことがありました。
- 地震発生後の5~8月までは県の障害福祉センターの一室を借りて相談を受け付けていました。
- ある時、身体障害をお持ちの女性が「ここは相談を聞いてくれるんですか?」とたずねてこられました。
- 「別の相談支援センターに行ったら話を聞いてもらえなかった、4月からずっと家の屋根にブルーシートを張ってもらいたいと相談しているんだけれども誰も来てくれない。相談したけれどもできないと言われてしまいました」と。
- そこで、『JDF熊本支援センター』では、すぐにSOSには何でも応えるという『被災地障害者支援センターくまもと』に電話しました。
- その日のうちに業者を手配してくれてブルーシートを貼る段取りをつけてくれた。
相談支援センターの役割は福祉サービスにつなげること。限定された業務が震災時は矛盾を生む
この時の状態を説明すると、相談支援センターの役割は福祉サービスにつなげること。つまり、生活ニーズをカバーすることは相談支援センターではやりたくてもできない業務だったんですね。
東日本大震災のときとこの熊本地震の大きな違いは、相談支援が福祉サービスとして制度上位置づいているか否かというところにあって、東日本の時は相談支援センターとしてまだ明確に結びついていませんでした。
その後、相談支援センターが地域と結びついて、相談支援専門員さんが色々なところに配置されるようになって、その後の地震では、このように業務自体が限定されていることによる矛盾が生まれてしまっています。
震災時のニーズに対応する余力がない相談支援専門員さん
もうひとつの矛盾は、相談支援専門員さんとお話した時には日頃から少ない人数でパンパンの状態でやっている相談支援センターが、地震が発生して、新しいニーズが出てきたのもわかるけれども本当に対応する余裕がないんだとおっしゃっていました。
こうした制度としての脆弱さが熊本地震で浮かび上がったひとつの内容と違うかなと思うんです。
困っていることに対して何とか対応することが本来の相談支援の在り方
僕たちも相談支援というのは福祉サービスにつなげることだと、制度の中で捉えがちなんですが、本来は制度に乗っかろうが乗っかるまいが、今困っている人がいて、困っていることに対して何とか対応することが、本来の相談支援の在り方なんだろうなということを改めて考えさせられた場面でした。
事業所への報酬ゼロ!?作業所が抱えた運営資金確保の問題
もうひとつ、『ワークハウスやまびこ』や『たんぽぽ』などの作業所が抱えていた問題が、運営資金確保の問題で、特に震災直後の4-6月は深刻でした。熊本県も熊本市も、通常の作業活動ができていないから災害後の事業所への報酬について、払えないと言っていたんです。
その時の事業所は
- 被災したことにより、物理的に通常の作業ができないという状況。
- 職員は利用者さんの安否確認に走り回っていました。
- 『たんぽぽハウス』などは家が崩れた利用者と家族、職員とその家族、地域の人など、総勢20-30人が約1か月間、そこに寝泊まりしていました。
- だから職員もみんなその対応に追われました。
- やまびこも全国の物資の拠点になり、ぼくたちのような外から帰ってくる支援員の寝泊まりする場所も提供してくれて、日中も来られる仲間はおいでと開放していました。
こうした状況の中で「通常の作業をしていないから報酬は払えませんよ」というのは東日本の時もありました。
日割り方式の欠点。県や市と折衝の末、日割りを越えた報酬をなんとか獲得
利用者が選択できるようになったとは言いますが、こういう時にそうした脆弱さが一気に出てくるんです。
僕たちもたんぽぽハウスと一緒にどうやって運営費を確保するかを一緒に考えましたが、最終的には当時のいろいろな作業所団体が県や市と折衝して、東日本大震災の時は最終的に日割りを越えて一定の条件のもとで報酬は出たんですが、そういったこともお示ししながら報酬がでるように運動の中で獲得したということも経過としてあります。
福祉避難所の公開の是非を熊本の事例から考える
横須賀市の避難所運営について…
大地震等により自宅が倒壊するなどして自宅での生活に危険が伴う場合などに横須賀市では避難生活を送る場所、そして地域の支援拠点として、市立の小・中学校71校(2016.04現在)を『震災時避難所』として指定しています。
詳しくは市のHPにて>>https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2005/bousainavi/sonae/hinan/shinsai.html
またこの時、高齢者・障害者・妊婦・乳幼児等のうち特別な配慮を必要とする避難者には、震災時避難所運営委員会の判断により『一次福祉避難所』が併設されます。
この『一次福祉避難所』でも困難となる避難者については、避難所に巡回訪問している保健師等が『二次福祉避難所』『三次福祉避難所』の移動の可否を判断します。
大震災等が発災したら、町内会、自治会等により、公園などに設定されている『一時(いっとき)避難地』に集まり、ここから震災時避難所に向かいます。
sukasuka-ippoまとめ/H27.07改訂
参考資料/震災時避難所運営マニュアル基本版vol.1.4
大切なことでありながら、なかなか複雑で難しい防災の取り組み。横須賀市における障害児者の防災の取り組みについて、新たに情報収集を進め、防災関連の記事としてご紹介できるように準備中です。
(2017.07 sukasuka-ippo編集部)
・・・
【熊本市では当初、福祉避難所は非公開。今はネットで公開】
横須賀では二次避難所があるということですが、
- 熊本では集団で過ごすことに困難がある方が避難できる場所として福祉避難所を何ヵ所か指定していた。
- 熊本市は当初、この福祉避難所は公開していませんでした。
- 「公開することで一般の人も含めてドッと来るから公開は控えてる」っていうのが当初からの熊本市のご説明でした。
- つまり「福祉避難所=二次避難所」という扱いで、まずは全ての人が一次避難所に避難し、行政の方が二次避難所(福祉避難所)に行かれる方を割り振るという仕組みを想定していました。
- 結局、震災直後は一次避難所の運営で手一杯で、そんな余裕はありませんでした。
- 結果的に今は、ホームページで公開しています。かなりの期間を経てからですけどそのように修正されています。
でも、当初から公開なさってても何も問題なかったと思います。
それは今後の災害の中でも考えるべき課題で、むしろ、
- 早くから福祉避難所の場所を公開する。
- 障害のある方や一般の避難所で難しいという人は何かあった時には直接そこに向かう。
そういうルートを確保しておいたほうが有効じゃないかなと思います。
【一般の方は一般の避難所に、特別なニーズのある方は福祉避難所に。啓発活動は平時から】
確かに、本来一般の避難所に行くはずの人が福祉避難所に溢れたりしないかとか、ご近所の人が多少は来られるかもしれませんが、わざわざ福祉避難所を選んで行く人ははいないですよね。
一般の人は一般の避難所、特別なニーズが必要な人が福祉避難所に行くという割り振りは、ご本人で当然判断されるでしょうし、そういう啓発活動を平時からやっておくということは、事前の公開と併せて大事なんだろうなと思います。
この熊本市の福祉避難所の問題は、せっかく指定しているのに、ひどい震災直後でありながら、結局、誰も来なかった訳ですが、当事者に情報がなく、どこが福祉避難所か知らないので行けないんですよね。
これを機能させる取り組みっていうのは、平時からの重要な課題かなと、思っています。
熊本市の居住支援協議会の活動から大きな学び
それからもう1つ。高齢者や障害者という住宅確保に困難を持つ人の暮らしの場を確保することを主旨としていてる『居住支援協議会』というのがあり、これは国土交通省が法律に基づいて作られてます。
この度の熊本地震で熊本市の『居住支援協議会』は相当、頑張られたと思うんです。事務局は民間NPO法人がしています。その事務局が、熊本市の行政の方と連携をとって、国土交通省のからの補助金を獲得して活動されていました。
[活動内容.01]最後に取り残された方々を仮設住宅へ移るお手伝い
閉じられる避難所から仮設住宅に移るステージの時に、最後に残っている困難を抱えている高齢や障害者の方、中にはある意味、自暴自棄になっている方がいて、そこにはみんな出ていくのに自分だけ取り残されている孤立感や焦り・焦燥はあるわけなんですよ。
そういう人たちの話を事務局の皆さんが一軒一軒聞きに行かれました。手が足りないということで、我々『JDF』も何回か同行し、一緒に行き場を考えるという取り組みをしていました。
[活動内容.02]住宅の情報不動産屋と連携して定期的な説明会を開催する取り組みです。
例えば、SOSに何でも応える活動をしている『被災地障害者センター熊本』には、家探しをして欲しいという電話がかかってくると、独自に知り合いの不動産を紹介しますが、この居住支援協議会の枠組みは非常に大きな役割を果たしていて、
- 設備住宅説明会に行って情報を得る
- 個別のブースで相談をする
- 住宅をさがす
という平時からの取り組みを、緊急時にもどう機能させるかという点では、本当に皆さん苦労なさったと思いますけれども、よく頑張られたなと思います。
この枠組みは今後も災害時に住宅を確保するひとつの枠組みとして、より充実させていく必要があるひとつの貴重な経験だったかなと思っています。
全部の市町村にあるわけではない!?2016.11末時点の設置状況
■都道府県‐全都道府県
■区市町‐北海道本別町、山形県鶴岡市、千代田区、江東区、豊島区、杉並区、板橋区、八王子市、調布市、川崎市、岐阜市、京都市、神戸市、北九州市、福岡市、大牟田市、熊本市(以上17区市町)
社会資源のない地域への支援
- 益城町や熊本市内の群部は、とにかく入所施設や病院などの社会資源がありませんでした。
- 町の職員さんは障害のある世帯からとにかく行き場を求められたといいます。
- 「どこに紹介するんですか」って聞いたら、「隣町の入所施設か病院や」っていうんですよ。
今後、ぼくたちも一定の区切りはありますけれども、資源を作るということも視野にいれていかないと益城町の災害の教訓は生かされへんのかなっていう気がします。
行政の方との連携は当然必要
最後に、行政の方とも、連携をとるのは当然。我々の場合は、熊本県熊本市の行政の皆さんに色々な情報提供をしていただいて、連携しながら活動を進めてまいりました。
- 『SOSチラシ』の件もそうですし、なかなか完全な支援のかたちは実りませんでした。
- 一方で、『被災地障害者センターくまもと』がこれだけの活動をするのに必要なボランティアが全国から集まらない時に、熊本県からもボランティア確保に関する情報をいただいたり、お互いに必要な情報交換しながらやってきてました。
- けれども、やはり名簿に基づく当初の対応、具体的には全戸訪問というのが、この後の災害の中での課題になると思います。
名簿情報を活用した支援の実現に向けて!
基本的に地元の皆さんへの情報開示というのはあり得ても、外部からの支援団体が多くいる場合に、どこまでという問題は確かにあると思うんですね。地元の繋がりをベースにしながら、その団体の活動実績も含めて、名簿を活用した支援が実現できるような仕組みがいるのかなぁと。そう簡単にいきませんけれども考えています。
避難所及び仮設住宅のバリアフリー化、住民の理解を求める啓発活動は重要!
それと最後に、お伝えしておきたいのが、避難所及び仮設住宅のバリアフリー化と障害のある方への住民の理解の重要性とそれををどう進めていくかというところ。
- 仮設ではどうしても、やっぱり障害のある方が暮らしにくい。
- それでもやっぱり、その人も含めて一般の仮設住宅で暮らせる条件がある。
- どうしても福祉仮設が必要だという人には、スムーズに福祉仮設が利用できるような仕組みを作る。
- 仮設住宅でいうと「2年やから我慢して」なんて言わないで、2年でもやっぱりバリアフリー仮設が必要な人に提供される。
そういう仕組みをどうやって作るんかなぁ…って難しい問題なんですが、課題がはっきりしてきたと思うんです。
この課題をどうやって、実現化に向けていくのか、地域の皆さんの知恵だったり、全国の団体、我々の役割も大きいですし、地方・全国が一緒になって考えていかなければいけないと思っています。
・・・
主催・横須賀市障害者施策検討連絡会の思い/[市川さんのごあいさつより]
施策検討連絡会では、東日本大震災以来、防災の取り組みを一番のテーマにしてきました。
先日、防災ワーキング(障害者の防災について議論を進める分科会)の取組みとして、障害福祉課、危機管理課、市民安全課と話し合いをしました。その話の中で、まだまだ要支援者の登録をしている方の数が少なくて、登録者数の全体の中での割合も、まだまだ低いということがわかりました。
「随分前に登録はしていても、なかなか町内会や自治会からの支援の申し出がない」という方が多くて、そのために「登録しても仕方ないと思われてる方が多いのかな」と思っています。
でも、登録した上で、話し合いの席に出て行って、支援が必要なことを話し続けるしかないのではないかと考えて、先日の話し合いの後にも、「登録した上で訓練の場や話し合いの場に積極的に出て行こう!」ということにしました。
構成団体の皆さんには、WEBで登録の案内や用紙を届けていきます。
ぜひ、各団体で出前トークなどを利用して、取り組んでいただきたいと思っています。[市川さんのごあいさつより]
sukasuka-ippo代表・五本木愛の視点
昨年の学習会では『障害者権利条約』と『障害者差別解消法』について事例を交えたわかりやすい赤松さんのお話を聞くことができましたが、今回も本当に分かりやすく、熊本地震の事例から震災による障害者の生活、そして支援者の活動についてしっかりと学ばせていただきました。
ここのところ、sukasuka-ippoとして障害者団体の会議に参加させてもらう中でも、防災についての議題は特に重点的に話し合われていると感じています。
私自身も会議に出席しながら、それまで全く知らなかったことや、避難訓練への参加・地域との繋がりの必要性などを強く感じるようになりました。実際に災害が発災したときのシュミレーションの流れも、会議に出席しながら、脳内で一生懸命イメージしていました。
なので、今回の赤松さんのお話で熊本の震災で浮き彫りになった課題などが、より現実味を帯びて自分自身の中へ入ってきました。より一層、今、自分自身がやるべき事、そしてsukasuka-ippoとして発信しなければいけない情報がなんであるかも具体的に見えてきたように思います。
まずは各々が他人事ではなく自分のこととして災害への備えを考えられるように、1人でも多くの方への周知をお手伝いさせていただくこと。避難者登録カードの登録についてや避難訓練の参加、地域との繋がりなど、これからどんどん発信していきたいと思います!
・・・
[学習会]JDF熊本支援センターの支援から見えてくる災害時における障害者支援課題
講師/ 赤松英知さん
主催/ 障害者施策検討連絡会
2017.02.21
@横須賀市勤労福祉会館(ヴェルクよこすか)6F
▲手前左から反時計周りに、sukasuka-ippo代表・五本木愛、講師の赤松英知さん、障害者施策検討連絡会代表の市川さん、福祉のまちづくりを推める会の清水さん、横須賀・三浦作業所連絡会代表の海原さん、sukasuka-ippoメンバー・ゆかねこ
初回公開日/ 2017.03.06
再掲/ 2017.04.14
取材/ ゆかねこ・ゆっぴー・pototon
テープ起こし/ misa・がらっぱち・reiko・kayo・pototon
文・構成/ takeshima satoko
情報監修/ 講師の赤松さん・障害者施策検討連絡会
sukasuka-ippo
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