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【手記】我が家のラッキーボーイ!ダウン症の息子が教えてくれた新しい世界

我が家のラッキーボーイ

ダウン症の息子は6歳。ピカピカの1年生として、今年から養護学校に通っています。

昨年、息子がひまわり園年長の時に引き受けた役員会で出会った仲間と『sukasuka-ippo(すかすかいっぽ)』を立ち上げることになり、あれよあれよと4月のオープンを迎えました。

メンバーの生い立ちも子どもの障害もみんなそれぞれ違います。みんなの手記を読んで、私も書いてみたいなという気持ちになったので、時間を見つけて少しずつ書いてみました。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

体外授精で授かった我が子はダウン症でした。

妊娠が分かり、幸せな気持ちで妊婦検診に通っていた28週の時、「羊水過多、心臓にも何か異常があるかも」と言われ、県立こども医療センターを紹介され、検査を受けることになりました。
その時は不安な気持ちが広がり、自分の心臓がドキドキしたのを覚えています。

しかし、能天気な私は検査をして原因が分かればスッキリするし、自分の赤ちゃんはきっと大丈夫だし、何か問題があるなら治療すれば治るだろう、くらいな気持ちでいました。

検査入院、そのまま切迫早産で長い長い入院生活

検査では羊水過多の原因も心臓についても不明

そして、こども医療センターに入院して検査をしました。結果、羊水過多の原因は不明、心臓に関しても特に説明はありませんでした。

退院できると思ったら、切迫早産

それから長い長い入院生活が始まりました。

  • 24時間の点滴
  • トイレとシャワー以外はベッドの上
  • 病院食以外は食べてはダメ

幸せな妊婦生活からはかけ離れていたけれど、同室の妊婦さんたちとのお喋りは楽しく、久しぶりに読書をしたり、助産師さんたちから、ためになる話を聞いたり、それなりに入院生活も楽しかったな、と思います。

主人は毎日仕事帰りに病院に寄ってくれました。
生まれてくる赤ちゃんの肌着の洗濯、ベビーベッドの準備など、すべて主人がやってくれました。

今、思えば、これから障害を持つ赤ちゃんを産む私の休息時間だったんだなぁ、と思います。

34週で退院、今度はなかなか来ない陣痛…

そして34週になったとき、赤ちゃんがいつ生まれても大丈夫だろう、ということで点滴を外して退院することになりました。
結局、羊水過多の原因も心臓も何の病気なのかも不明、生まれてくるまで分からない、と主治医の先生は私に説明しました。

そして退院し、自宅でのんびり過ごしていましたが、今度はなかなか陣痛がきません。予定日を過ぎても生まれる気配なし。
結局、促進剤で出産に挑みました。

陣痛がきて約5時間、主人の立ち会いのもと、ようやく可愛い息子が生まれました。先生は息子をチラっと私に見せてくれた後、すぐにNICUに連れて行ってしまいました。

チラっと見た生まれたての我が子は、まつ毛が長く、二重瞼で、とても可愛い!と思いました。
そしてその時は、ダウン症だなんて全く思いもしませんでした。

ダウン症の疑い、そして親としての誓い

出産翌日、NICUでチューブがついた息子と対面

チューブがついたわが子と対面

翌日、NICUにいる息子に会いに行きました。

たくさんのチューブが付いていました。初めての抱っこは、チューブが絡まったり外れたりしないかドキドキしました。
その時も、すぐにチューブが外れて元気に退院できると思っていました。

目に飛び込んできた文字は『ダウン症の疑い』

そして新生児科の先生から赤ちゃんの詳しい症状を聞くために、主人とふたりでNICUの入口にある応接室のような部屋に通されました。

そこで目に飛び込んできたのは、テーブルの上の用紙に書いてあった「ダウン症の疑い」という言葉。

一瞬のうちに色んなことが頭に浮かび、そこで初めてショックを受けました。「疑い」と書いてあるけれど、何人もの障害のある赤ちゃんを診てきたこの病院の新生児科の先生が言うのなら、間違いなくダウン症なんだ、と覚悟しました。

そして、ダウン症には色々な合併症があり、我が子の場合は

  • 心房中隔欠損
  • 肺高血圧

があるという説明も受けました。染色体の検査もすることになりましたが、結果を待たずに私のなかでこの子はダウン症だという確信があり、同時にこの子を育てる覚悟を決めました。この子を守れるのは私と主人だけだと。

本当の気持ち、そして主人の言葉

でも正直、とても悲しかったし、障害児を授かるくらいなら体外授精なんてしなければ良かった、と思う時もありました。

この先、どうなるんだろうとたくさんの不安が心にのしかかりました。

そんな気持ちを軽くしてくれたのは主人の言葉でした。

「なんとかなるよ。普通の子より病弱だったりするらしいからちょっと大変かもしれないけど大丈夫だよ。」

明るくそう私に言ってくれました。そして主人は、チューブだらけの小さい息子を本当にいとおしく、大切そうに優しい目で見ていました。

それを見て、私も「いっぱい愛情を注いでこの子を誰よりも幸せにする!」と誓いました。

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酸素チューブをつけたまま退院した息子との日々

数日後、私は息子より先に退院しました。自宅で母乳を搾乳して病院に届けるという生活を約2週間続けました。

息子は吸う力もだいぶ強くなってきたのでミルクのチューブは外れましたが、酸素のチューブは外すことができず、在宅酸素でチューブをつけたまま退院することになりました。

たくさんの刺激がたくさんの成長につながる

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自宅には酸素の機械が置かれ、外出時には酸素ボンベを持って出掛けます。

こども医療センターの遺伝科の先生からは、とにかくたくさんの刺激を与えてあげるように言われました。たくさん話しかけ、色々なものに触れさせ、色々なものを見せる。色々な経験をさせてあげること。そうすればたくさん成長してくれる、と。

それならたくさん刺激を与えてあげなきゃ!と思いつつも、顔に酸素のチューブをつけ、ボンベの残量を気にしながらの外出は、私にとっては気が重く、その頃の外出先といえば、2週間に1度のこども医療センターの受診くらいでした。

たまに買い物などに連れて行くと、知らない子供が我が子を指差したり顔を覗きこんできたりして、どうしてよいか分からない気持ちになったりしたので、むしろこども医療センターにいる時の方が安心して落ち着きました。

なかなか外せない酸素と心臓のカテーテル検査

循環器科も定期的に受診しました。受診の度に、「酸素を外していいよ」と言われるのを期待していましたが、なかなか外せず、生後5ヶ月になった時、入院して心臓のカテーテル検査をすることになりました。

そして検査結果は、

  • まだ酸素を外せる状態ではない
  • また1年後にカテーテル検査をしましょう
  • それまでは引続き在宅酸素で過ごしましょう

とのことでした。

「あと1年!?」…気が遠くなりました。

頬っぺがチューブを抑えるテープでかぶれてしまうし、前ボタンの服以外は着せにくいし…

きっと、もっともっと大変な思いをしているお母さんたちがいるのに、その時の私は自分ばかりが大変な思いをしているような気持ちになっていました。

 

健常児の親子サークルに誘われたけど…

生後9ヶ月のある日、近所のママ友が毎週通っている親子サークルに一緒に行こうよ、と誘ってくれました。それは健常の赤ちゃんを連れたママたちが集まり、お喋りしたり、みんなでおやつを食べたりするものでした。

赤ちゃんたちもハイハイしたりヨチヨチ歩いたりしながら自由に遊んだり、リトミックの先生がきて親子でダンスのようなことをするときもあります。

9ヶ月でまだお座りさえできず、ごろごろしてるだけ。おまけに酸素チューブをつけたダウン症の息子を連れて、健常児の親子サークルに行くなんて、とても楽しめるとは思えず、最初は断っていたのですが、何回か誘われ、渋々でしたが、試しに一度だけ勇気を出して行ってみることにしました。

共有できない子育ての話題、それでも息子の成長のために

思った通り、そこにいる赤ちゃんたちは息子と違って元気に泣いたり騒いだりしていたし、ママたちのお喋りの内容も子育ての悩みも私とは全く違ったけれど、私はなんとなくその場の話題に合わせて話していたと思います。

そのサークルに行くことは、私にとっては正直、とても疲れることでしたが、息子の成長にはたくさんの刺激が大切だと、こども医療センターの先生に言われていたので、私はそのサークルに通い続けることにしました。家にいるだけでは与えられない刺激がここでは受けることができる、と思いました。

通い続けることで得られた貴重なもの

結局、そのサークルには1年以上通いました。当時の私は無我夢中、息子の成長を健常児に近づけようと必死でした。

そのサークルでの経験は、今思えば、とても貴重なものになりました。通ったおかげで息子の発達を伸ばせたのかは分かりませんが、とても大切な出逢いもあり、そこで一緒だった健常の同じ歳の赤ちゃんが、お互いに今、小学1年生になり、学校は違っても一緒に遊び、時には息子を注意したり、言葉を教えてくれたりしています!

息子の成長を一緒に喜んでくれるママ友にも出逢えました。結果、勇気を出して通って良かったと思っています。

療育開始、2回目の検査。そして変化する気持ち

療育相談センターで療育スタート

息子は1歳になり、横須賀市療育相談センター(以下、療育相談センター)に通い始めました。

そこで定期的に受けることになったのは

  • 運動面の発達をサポートしてくれる理学療法
  • 主に食事に関するアドバイスをしてくれる摂食外来

その後、成長に合わせて作業療法、言語療法にも通うようになりました。

2回目の心臓カテーテル検査、やっと外せた酸素ボンベ

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1歳半では、こども医療センターで2回目の心臓カテーテル検査を受けました。そこでようやく在宅酸素治療が終わり、酸素ボンベを外すことができました。晴れて身軽で外出できるようになったのです!

心房中隔欠損、肺高血圧はかなり改善していて心臓の手術は必要ない、との結果でした。これは本当に嬉しい出来事でした。

療育相談センターで障害児の親子教室に参加

我が家のラッキーボーイ

療育相談センターでは、障害を持つ子供が親子で集まる教室に通い始めました。2歳児対象のラッコ教室、次は3歳児対象のペンギン教室へと進みました。

そこでは同じ歳のダウン症のお友達や、他の障害を持つ様々なお友達に出逢いました。

悩みを共有できる居心地の良い場所である一方で…

私は今まで健常児の親子とばかり話していたので、ここはなんて居心地が良い場所なんだろう、と思いました。同じ悩み、同じ不安、とにかく同じような経験をしているお母さんたちとのお喋りは本当に心が落ち着きました。

一方で、息子の障害の程度は決して軽くはないんだ、と気付く場所でもありました。同じダウン症でも息子より早く喋る子もいるし、運動面でも進んでいる子もいました。

『障害を軽くすることが大切なのではない』という気付き

今まで私は、息子がどんどん成長し、障害を少しでも軽くすることばかり考えていましたが、大切なのはそれだけではないんだ、と気付きました。

療育相談センターと併行して障害児のデイサービスの利用を開始

その頃から療育相談センターと併行して障害児のためのデイサービスにも通い始めました。

そこは療育に力を入れているデイサービスで、息子の成長をかなりサポートしてくれたと思います。小学生になった今は放課後デイサービスとして利用し続けています。

ひまわり園に通園する頃には、私の気持ちも大きく変化

そして療育相談センターの通園施設である『ひまわり園』に通い始めた頃には、本人が楽しく、本人なりに無理なくゆっくり成長してくれたらそれで良い、と思うようになりました。

息子にとって母の私がするべきことってなんだろう?

私ができることは何でもしてあげたい。でもいちばん大切なのは、息子が笑顔で過ごせることかな、と思い始めました。

今まで息子の成長を健常児に近づけようとすることに無我夢中だったことに後悔はありません。
運が良かったのか、今までたくさんの人に助けられてきました。

今は、将来、みんなに支えてもらえるよう、近所の人にどんどん会わせたり、お友達と外で遊びたいと言えば近くで見守るようにしたり、それほど無理せずに息子との毎日を楽しんでいます。

幸い、2つ下に元気な妹ができたので、妹からも色んなことを吸収しています。

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とにかく悩んだ就学先、そして選んだ養護学校

就学先も本当に悩み、息子のことを真剣に考えてくれたひまわり園や療育相談センターの先生方のアドバイスを受け、県立武山養護学校に決め、今は楽しく通学しています。

スクールバスを待つ息子

ダウン症の息子を授かって知った新しい世界

私は、ダウン症の息子を授かって、新しい世界を知りました。

息子は私にたくさんの出逢いを与えてくれました。

いつも感動と驚きも与えてくれます。

そして可愛い笑顔と純粋な心で私を癒してくれます。

どんな壁にぶつかっても解決できるように家族の絆を強くしてくれています。

とてもとても大切な存在。

私はダウン症の息子が大好きです。

2016.05

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reiko

確率1000分の1のラッキーボーイ☆ダウン症の息子は今、7歳。おしゃまな妹もいます。子どもたちにたくさんの感動を与えてもらっています!
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