我が家の一人娘あかねは、知的障害を伴う自閉症。
療育手帳はB2、知的は軽度と中度の間くらいと言われています。
出産翌日から親子で入院
出産予定日は5月。私は当時、広島に住んでいましたが、実家のある高知での里帰り出産を予定していました。
しかし、妊娠32週目に私が妊娠高血圧症候群になってしまい、予定日より38日早い3月末に、あかねは帝王切開で生まれました。
出生時のあかねの身長は43センチ、体重1650gのためすぐにNICUに入りました。
加えて、出産翌日には私も心不全と診断され、親子でしばらく入院生活を送ることになりました。
あかねは小さかったので、私が退院した後も、紙オムツは近所では売っていない3000g未満児用を病院の売店で買って届けるということを、その後3ヶ月続けました。
ちなみに、母子で入院していた時は母が毎日病院に来てくれていたのですが、初孫だけでなく、イケメンの主治医見たさもあったようで、私のお見舞いはそのついでだったのだとか(笑)
パパと離れての子育てスタート
そんな落ち着かない出産の間、パパは何をしていたかというと、実はあかねが生まれた4日後に広島から横須賀へ転勤…。そのため、私とあかねは退院した後、しばらくは実家で暮らすことになりました。
パパ不在の初めての育児で、小さな我が子を毎日ドキドキしながら抱っこの日々だったなと当時を振り返ります。
知らない土地、横須賀での初めての子育て
小さく生まれたあかねですが、生後6ヶ月には身長と体重が標準に追いついたこともあり、7ヶ月の時に高知からパパの待つ横須賀へ引っ越し、ようやく家族3人での新生活が始まりました。
近所に知り合いもいない初めての土地で初めての子育て…。たくさん不安はありましたが、私はマイペースにあかねと過ごしていました。
「まさかそんな…」思いもよらなかった診断までの経緯
何気なく小児科を受診したときに、かかりつけ医から意外な提案
早産だったあかねですが、1歳半健診までは特に問題なく、また、私自身も本来の予定日を成長の目安に接していたため、実際はあかねの内面が周りの子より遅いことに気がつきませんでした。
あかねが2歳になった4月には、私も以前の勤務先から横須賀の職場へ転勤となり、仕事復帰と同時にあかねは保育園へ入園しました。
それから約3か月後の7月のある日、保育園の担当医師でもあったかかりつけ医を受診した際、
「園長先生から、あかねちゃんはおそらく他の子と違うと思う、と相談されてね。療育相談センターへ行ってみてはどうかな?」
と勧められました。突然のことで「まさかそんな」と思いましたが、どうやら日ごろの保育であかねの様子を見て、心配していた園長先生がその医師に相談してくれていたのでした。
横須賀市療育相談センターで発達検査、そして診断名は…
状況をよく理解できていたわけではありませんが、とにかくすぐに横須賀市療育相談センターへ電話し、8月に発達検査を受けました。
そして9月、小児精神科の先生から『自閉症』という診断名が告げられました。
心の準備をする間もないあっという間の診察だったため、こんなにあっさりと娘に『自閉症』という名前がついたことがショックで、夜泣きながらパパに説明しました。
それからは毎晩、あかねが寝たあとに『自閉症』について調べて、また泣く…を繰り返していました。
保育園に迎えに行くと「今日は癇癪をおこして…」というような報告が毎日のようにあり、精神的にとても辛い時期でした。
前を向くきっかけは上司の言葉
自分の親に伝える勇気もない、ママ友もいない。
そんな中、唯一あかねのことを話せたのが、職場の上司でした。上司が女性だったのと、尊敬していた方だったので、話せたのだと思います。
「親だから自分が亡くなった後のことを先に考えて暗くなっちゃうけど、今はその時その時で、あかねちゃんに必要なことをしてあげられるといいね」
上司のその言葉に、私は少し前を向くことができました。
それからは、自分があかねにしてあげられることはないかと、発達障害の保育本、自閉症の本、自閉症のお子さんを持つ方のブログをひたすら読んで情報を集めました。
療育に通い始め、広がった世界
年少の時期はパパと交代でくじら教室に
そんな時、ソーシャルワーカーさんから療育相談センターのくじら教室の案内があり、パパと相談し、3歳になった4月から半年間、通うことにしました。
平日の開催ということもあり、仕事を毎週休むこともできず、2週間に1度の出席にしてもらい、パパと交代で通いました。
くじら教室では、初めてあかね以外の、あかねと似た感じの座っていられない、待っていられない子たちと過ごしました。
- どのパパもママもみんな頑張っていること
- 同じようにたくさん悩んでいるのを目の当たりにしたこと
- そして、あかねが少しずつ成長していること
などを実感できたので、療育相談センターの通園部門『ひまわり園』への入園を希望しました。
その頃のあかねは、3歳になっても言葉がでる気配もなく、癇癪を起こす頻度も多く大変でしたが、保育園では担任の先生を増やしてくれたり、迎えに行くと「今日はこんなことができるようになりましたよ!」と良かったことを話してくれたりして、周りにも救われました。
年中から療育相談センターのひまわり園と保育園を並行通園
年中さんから、ひまわり園と保育園を並行通園することにしました。
ひまわり園は通常、年少は親子通園、年中からは単独通園となりますが、年中から通い始める娘は慣れるまでの数ヶ月を親子で通うことになりました。
親子で通う療育はとてもドキドキ。年長さんと年中さんが混ざったクラスだったのですが、年長さんが話しかけてくれるのを目にして、「1年後、あかねもこうなってほしいなぁ」と願いました。
ママ同士も友だちになり、子連れで水族館に行ったり、自宅で水遊びをしたりと、一緒に遊ぶようになりました。
保育園では年長さんと一緒に行動することが多かったので心配でしたが、先生方にたくさん助けていただき、それまでできなかった列に並んで歩くこともできるようになりました。
年中の夏ごろからは言葉が出始め、自分の気持ちを伝えようと成長
夏からは2週間に1度、療育相談センターのST(言語療法)にも通い始めました。
ちょうど単語が出始めた頃で、その後、単語から2語へと成長をみせてくれました。
自宅ではトイレもできるようになりました。
あかねも自分の気持ちを、どうにか言葉で伝えようとしてくれるようになり、大泣きする癇癪は減りました。
また、この時期、クリスマスプレゼントの3DSソフト『ドラがな』を気に入り、半年後には1年生で習う漢字までやっていたのには驚きました。
そして今、あかねは年長さん。
先生方や周りのお友だちへの感謝
保育園は年中の時の先生が持ち上がりで年長の担任をしてくれたので安心です。先生方は療育施設への研修やグレーゾーンの保育研修等に積極的に参加してくれているようで、本当に感謝しています。
お迎えに行くと、担任ではない先生も「あかねちゃん、こんなことできてたよ、おもしろかったよ」と教えてくれるので、お迎えの時間が楽しみです。
ずっと一緒のクラスの子たちも、よく声をかけてくれます。「あかねはいつ話せるようになるの?」と聞かれますが、「あかねともっとお話しがしたい!」という気持ちから出ている質問なので、嬉しいです。あかねもクラスの子たちの顔と名前を覚えていて、ときどき名前で呼んでいるそうです。
周りにとけこめた運動会
5月には保育園で運動会がありました。
毎年、練習ではバッチリでも本番では泣いてしまい、参加が難しかったのですが、今年は違いました。
- あかねが競技に参加している
- 順番が待てないから1番にしてもらっていたが、どの順番でも待てる
- 年中さんたちの競技は座って応援している
- やたらカメラにアピールする
などなど、パパとふたりで感動しました。
先生方からも「あかねちゃんがどこにいるのかわからないくらい、周りにとけ込んでいました!」と嬉しい感想をもらいました。
心配していた自傷行為やオムツも…
あかねは毎年6月頃になると、夜寝ながら壁やガラス、テーブルの角に頭を打ち付ける自傷行為を行っていました。
自傷行為が出ると、寝ながら泣きわめき、頭をガツガツ打ち付けようとするので、落ち着くまであかねの身体を押さえつけていなければなりません。でも、当のあかねはそのことを覚えておらず、次の朝にはケロッといつも通り元気なので、私にとってはそれがストレスでした。
そんな自傷行為を今年も覚悟していたのですが、今年は何事もないまま6月を過ごすことができ、とても嬉しく思いました。
そして夏にはオムツも卒業できました。というのも、家ではトイレでできていたのですが、外ではなかなかできずにいたのです。でも、布パンツの心地良さが気に入ったようで、夜寝るときも布パンツで眠れるようになりました。
ゆっくりと、あかねのペースで
あかねは、今、5歳・年長さん。
言葉は3語に挑戦中です。3DSソフト『どら算』で数字にも挑戦中。
歌を歌えるようにもなりました。サビの部分や歌い出しの部分だけですが、キッチンからお玉を持ってきて、マイクの代わりにして歌う様子はかわいいです。
ゆっくりですが、あかねのペースで成長しています。そんなあかねと過ごす日々を私はとても楽しんでいます。
2017.10
ゲスト投稿者/ みんご
sukasuka-ippo
最新記事 by sukasuka-ippo (全て見る)
- 【イベントお知らせ】~障がい児とその家族の交流の場~2024年度『すてっぷ』活動のご案内 - 2024-05-09
- \今年も販売やります!/『令和5年度障害者週間キャンペーンYOKOSUKA』のお知らせ - 2023-11-28