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【取材File】障害のある方や支援者の生の声を通して横須賀の障害福祉の「今」を知る!福祉の世界で働きたい方と事業所を繋ぐ『よこすか 障害福祉cafe 2017 秋 —「今」を感じて、「未来」を創ろう!』

2017.10.21(土)10:30-15:30、神奈川県立保健福祉大学にて、横須賀市内の障害福祉事業所と障害福祉の世界で働きたい・もっと知りたい、という方々を繋げる交流の場『よこすか障害福祉CAFE 2017 AUTUMN』が開催されました!

カフェのような雰囲気で自然に交流、広がる理解。
当日のプログラムをご紹介

01.当事者やスタッフのスピーチ&ディスカッション

02.就職相談などができる各事業所のブースと被災地支援の物品販売

03.楽しくものづくりを楽しめるワークショップスペース

04.飲み物や焼き菓子がたくさん!お昼にはパンやおにぎりも!

・・・

sukasuka-ippoも、前回同様、取材させていただいくほか、今回は代表の五本木愛が壇上でのディスカッションに参加させていただきました。
以下、発言された方々の聞きごたえのあるスピーチを再編集する形でたっぷりご紹介します。どうぞご覧ください!

障害をもって暮らす当事者のスピーチ「私の生き方 ~リアルな今~」

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『あきらめない……という事』/ 片野忠さん(シャローム浦上台)聞き役:宇都宮明子さん


▲ 片野忠さん(左)と聞き役のシャローム浦上台施設長の宇都宮明子さん(右)

38歳の時から、シャローム浦上台に入所されている片野さん。それ以前は、在宅でいろいろな施設に通所しながら生活されていました。

お母さんが腎不全という大きい病気にかかってしまい、6年前に亡くなってしまいました。それがきっかけでシャローム浦上台に来られました。

ボランティアの方と一緒に白杖の練習をスタート

『シャローム浦上台』で生活するようになって、今、片野さんは、白杖をついて馬堀海岸の駅まで1人で行かれています。どんな練習をされたのでしょうか。

二俣川にあるライトセンターからボランティアの方に来ていただいて、春から秋にかけて15回くらい、時には暑い日の炎天下の下でも頑張って白杖の練習をしました。

いつも立ち寄るスーパーで、

馬堀海岸の駅のほうまで行くなかで、いつも決まったスーパーに立ち寄ります。

宇都宮さん  何か決まったお買い物があるんですか?

片野さん  はい、説明しましょう。おかめの納豆だとか、あとボディーソープ、ロールケーキを買います。

宇都宮さん  そうなんですね。いつも同じものを買うんですか?

片野さん  毎回とは限らないんですけど…時々。

宇都宮さん  なるほど。買い物のほかに寄る所はありますか?

片野さん  はい。西友の隣のマクドナルドでコーヒーを飲みます。

宇都宮さん  片野さんはコーヒーが大好きなんですよね。

片野さん  はい。

宇都宮さん  お店に入って、席が空いているかどうかとか、熱いコーヒーを持って運ぶのだって大変ですよね。どうなさっているんですか?

片野さん  白杖で歩行の練習をしていた時から、マクドナルドにはよく寄っていたので…

宇都宮さん  もう顔なじみなんですね。ライトセンターの方も「こういう方が来たら誘導お願いします」と頼んでくれていたんでしょうか。

片野さん  はい、そうです。

宇都宮さん  そうしていろんなところに寄りながら、『シャローム浦上台』まで通ってきてくれているんですよね。

今、何か気をつけていることってありますか?

片野さん  はい、それでは説明しましょう。一番怖いのは、もらい事故です。その予防のために、外出するときは真っ赤な洋服を着ています。それまでは、全神経を耳に集中しなければいけませんでした。外に出ると視覚障害者かどうかという区別がつきにくいかもしれないので、僕は安全のためにあえて全身真っ赤にしています。視覚障害という印にもなるので、それでOKかと思います。

宇都宮さん  赤い上下を着ていると、目立つからみんなが注目して気をつけてくれるということでしょうかね。他には何か注意していることはありますか?

片野さん   今日みたいに雨模様や曇りの時はでかけません。

宇都宮さん  滑ったりして危ないですもんね。他にはありますか?

片野さん   他には、うーん、一時停止を繰り返すこと。

宇都宮さん  施設から馬堀の駅までは、信号があったり、階段があったりしますよね。大変じゃないですか?

片野さん  えっと、僕は全神経をこの白杖と風と耳で安全確認しながら歩いています。

宇都宮さん  風というのはなんですか?

片野さん   つまり、車が通ると風圧で風が起こりますよね。

宇都宮さん   そうなんですね。車がスッと通ると風がフワッと通ると。その風圧を感じるということですか?

片野さん   はい。

宇都宮さん   なるほど。私たちからしたら、どんな風が吹いてもみんな風は風ですけれども。そういうところも注意しているということですね。

施設の方から片野さんにお願いしていること「いつも同じルートで」

宇都宮さん   なぜ同じルートを通るかというと、万が一、地震なんかの震災があったり、事故があったりして、なかなか戻ってこない、大丈夫かなぁと思ってこちらからお迎えに行くときに、同じルートを通っていただかないと、どこにいらっしゃるかわからない。だから片野さんには必ず同じルートを通るようにお願いしています。そうやって練習していって、もう何年も経ちますよね。

片野さん  ええ。

今は馬堀からリビンにバスで行く練習中。その次の目標は…

片野さん   今は、馬堀からリビンに行く、バスでリビンに行く練習をしています。

宇都宮さん  リビンに行くバスが馬堀の駅から出ているんですよね。馬堀の駅までは1人で行けるようになった、そしてそこからバスに乗ればリビンまで行くことができる。これが上手くいったら、更に遠くまで行けるようになりますね!更に次はどうします?

片野さん  電車でお父さんの所まで行って、お父さんと一緒に食事できるといいなと思います。

宇都宮さん  いいですね。お父さんにその希望は言いましたか?

片野さん  まだです。

宇都宮さん  まだ内緒なのね。内緒で行って突然驚かせようと。

片野さん  そういうことです。はい。

それ以外にも諦めないで継続して頑張っていること

片野さん  計算の勉強だとか、自分で施設の中でお風呂のお湯を自分で張れるようになりました。

宇都宮さん  すごいですね!やっぱりやり続けることですね。片野さんはうちが開所の時に来られたので、もう16年うちの施設にいらっしゃるんです。それで、私がきた10年位前は、まだ1桁の計算をしていたのですが、こないだちょっとみたら、3桁の足し算も引き算もできるようになっていて。すごく練習したと思うんですけど、これからも頑張りますか?

片野さん  はい、頑張ります!

宇都宮さん  何桁くらい?

片野さん  下手すると10桁までいけちゃう。

宇都宮さん  えぇ〜10桁まで頑張る!すごいですね〜。できることがどんどん増えていくといいですね。これからも、職員と一緒に頑張って練習してください。

赤い上下の服で馬堀海岸を歩く片野さんを見かけたら是非声を掛けてください!

会場からの質問 声をおかけするときに、急に声をかけるとちょっと驚かせてしまうのではないかと心配です。どういう声のかけ方が片野さんにとって一番いいですか。

片野さん はい、答えましょう。よくね、「どちらの方に行らっしゃるんですか?」と言われます。

宇都宮さん 片野さんが急に、肩をトントンってやられたらびっくりしますよね。じゃあ、少し離れたところから、「こんにちは」ってまず声をかけていただいて、それからそばに寄ってきてもらって、「どちらに行かれるんですか?」って言ってもらうのが一番良いですかね?

片野さん はい、そうです。

宇都宮さん 職員も後ろから突然トントンと肩をたたいたりすることはないんですけども、まぁ片野さんは見えない分、とても耳が良いので、そばに誰かが歩いてきたというのはよく聞こえるんですね。私が歩いていてもすぐわかるそうです。なんと、私の使っている杖の音が聞こえるからと言っております。

片野さんからですね、これから仕事をしようと考えている人達へメッセージ

片野さん 皆さん、僕も計算ドリルだとか、自分でお風呂のお湯はりとかしてますので、僕も頑張っています。皆さんも頑張ってください。

speach.02
『枠から出てこい!』/福井智華さん(清光園)

前回の福祉cafeでも当事者として登壇し、そのスピーチをsukasuka-ippoのサイトでも紹介させてもらいましたが、今回もまた新たな当事者の思いがこもったスピーチを聞くことができました。

大学でのスピーチを楽しみにしていたその理由

私の名前は福井智華です。知的障害B1を持っています。

今、私は一人暮らしを始めて、来月の11月6日で2年になります。今回も福祉cafeに参加させていただき、ありがとうございます。
前回の福祉cafeでは、私の歩んできた25年間を紹介いたしましたが、今回はもう少し踏み込んで、障害ということのお話をしたいと思います。

特に今回は大学で開催すると知って、絶対行ってみたいと思っていました。理由は2つ…

大学の中に入るなんてなかなかできない、ということと、もう1つは大学生よりは私の方が少しお姉さんになるけど、私と同じ年代の人がたくさんいる大学で皆さんがどんな生活をして、何を学んで、どんなことを考えているのかをすごく知りたかったからです。

とは思っていますが、もちろん一方的ではありません。まず、障害者である私がどんな生活をして、何を学んで、どんなことを考えているのかを、これからお伝えします。

職場は『元気パン』、毎日充実した生活を送っています。でも…

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私の職場は元気パンです。共済病院の中にある小さな工房で毎日毎日美味しいパンを焼いて、患者さんや先生方に喜んでもらうのが、私の仕事です。

月曜日から金曜日までは、びっちり仕事をして、休日は彼とデートをしたり、友達と遊んだりします。もちろんお家の掃除もやっています。

ここまで聞くと、あぁ普通だなぁと思われたりするのですが、ここからが本題。

友だちからの相談、ネガティブな内容に疲れることも…

例えば、友だちのことに関していえば、私はいつも相談される役目で、その相談の内容はというと…

  • お金がなくて食べるものがない。
  • 妊娠したけどお金もないし、どうすればいいかわからない。
  • 友だちとの関係性が難しい。

というもの。

もちろんこれが全てではありません。でも、こういったことを始めネガティブなことが多く、相談されるのは嬉しい反面、とても重く疲れてしまいます。

私にはどうすることもできないことが多いのですが、話を聞くことと、その時の自分にできることがあればしています。

友だちが食べるものがないと言えば、少しだけでも宅急便で送ってあげたり、妊娠してしまった友だちはこれからどうしていいか全くわからず、私に連絡をしてきますが、私にもそんなことはわかりません。ただ、彼とちゃんとお話をして決めた方がいいよなどわかることだけを伝えています。

最も多いのは友だち同士の揉めごとの相談

友だち同士の揉めごとの悩みは最も頻繁にあります。

あの子がこう言った、ああ言ったなど、全く関係のない私も気づくと巻き込まれているような状況が多く、相談を受けたことがきっかけで音信不通になってしまった子もいます。

これは大人の友人関係としてはどうなのでしょうか。毎回、同じような揉めごとが起こり、毎回、嫌な気持ちでモヤモヤした日が何日も続くのです。

これって発達障害の人の特徴?

発達障害の人の特徴に、

  • 自分自身を客観的にみて正しく評価することが苦手
  • 他人を理解することが苦手
  • マイナス思考で物事を否定的に考えてしまう

ということを聞いたことがあります。

そういえば、私の周りの友達も人の気持ちを感じたり、人との約束やルールを守るなどの当たり前と言われることが苦手な人が多いなぁと思います。皆さんは友だちとどんな関係を築いていますか。

療育手帳を捨て、障害を隠す友だち

ある時、こういった大変さを抱えている友だちに、私の周りの福祉施設の職員さんのお話をしました。彼女たちの生活が穏やかになればいいと思って言ったことですが、

「療育手帳も捨てちゃった、ぜったいヤダ」

と全く受け入れられませんでした。

多くの友だちがそうです。自分の障害を隠して生活することを選んだ彼女たちがとても心配です。みんなどうなるんだろう、どういう将来がくるのだろうと思うからです。

そして、私の大好きな彼にも障害があります。

彼は、武山養護学校高等部で一緒で、とても優しくて、私という人間をそのまま受け入れてくれる人です。

彼は、私が苦手とする、道を覚えたり計算をしたりということが得意です。いつも、目的地にたどり着くには、彼の記憶力が必要だったり、お買い物では割引の計算ができる彼と一緒にいることで安心ができます。彼がいない時、私は1人で出掛けて買い物をする時や何か計算をする時、スマホのアプリの電卓を私は3個位持っています。その電卓のアプリで計算をしています。

でも、逆に彼はお米ともち米やウィンナーとフランクの違いが分からないなど、言葉の理解が苦手です。私は言葉の理解はできますが、計算や字を覚えるのが苦手ですからカップルとしてはぴったりだと私は思っているんですけどね。

時々、あまりにも彼が知らないということに対し、私はイライラしてそのイライラを彼にぶつけてしまいます。2人の間にも話が伝わらないことがあるので、私たちの世界から一歩外に出た時の彼が心配です。

勉強はしていませんが、お仕事や人との出会いで学べることがいっぱい!

私の中の大学生のイメージは広々とした綺麗なキャンパスで楽しそうにしているイメージです。それぞれの専攻している学部で、専門的に勉強して将来の自分の為に頑張っていらっしゃるんだと思います。私は勉強はしていませんが、お仕事や人との出会いから、色々学べることがあると思っています。

例えば、私の職場の人達はとてもプラスなものの考え方で、迷っている私にいつも着地点を教えてくれます。

将来、自分もそんな人になりたいと思います。人は自分より他人の言動ばかりが気になってしまいがちですが、自分自身をしっかり見つめながら、将来を決めていきたいです。

ちなみに、もし大学に行かれるとしたら、お医者さんになる勉強してみたいです。もしなるなら、やっぱり精神科がいいです。勉強がたくさんできる自分とそんな環境があるなんて、すごく羨ましいなぁと思います。

障害福祉の枠の中で生きることは時に残酷

とにかく、先ほどの障害を隠して生きる友達も彼ももちろん私も、障害福祉という枠の中で生きています。

友だちが障害を隠して生きることを選んだように、私は障害者として生きることの残酷さも知っています。私たちはいつもどこかで誰かのサポートを受けながら生きなければならない存在だということが、私の友達はそんな自分を許せなかったりするのかなぁと思います。

障害者であること隠す気持ちの裏にあるものを多くの人に知ってもらいたい

今、友人が避けている障害に、いつかは向き合わなければならない時が来ると思うのと同時に、なぜ障害者であることを隠して生きなければならないのかを、多くの人に知ってもらいたいです。

多くの人に障害という壁が高いのかもしれません。でも、目に見えなものだからこそ、私たちで自由に変えていけることなのではないでしょうか。高い壁か低い壁かは、私たちの捉え方ひとつ、行動ひとつで全く変わってくると思います。何をして欲しいということではありません。もっと、もっと多くの人に私たちの現実を知ってもらいたいです。

福祉の教科書には私たちのような人のことがたくさん載っているのでしょうか?教科書の中だけではなく、もっともっと多くの現実について論議してもらいたいです。

なぜなら、私たちにとってはこの現実が生きるということだからです。

私たちの知らないところで、私たちのことに関して色々世の中では変化しているようです。

私たちがよくわからない大きな仕組みのようなものがあるみたいです。

でも私は彼や友だちの代わりに障害の枠や壁を皆様が取っ払えるかもしれないと今日の福祉カフェでの話も希望させてもらいました。そしたら私の友だちも障害なんて気にせず、強がらないで自分らしく幸せに生きていけるのではないかと思います。

自分が障害者であるということに気づく前と後

子どもの頃、保護所で受けた施設に入所するための判定の時、私の脳のレベルは、中学生なのに小学校1年生と言われました。
よく意味がわかりませんでした。

その後、入所先で過ごしていたある日、「私は障害がある人たちの施設にいるんだ!」と気付き、「自分にも障害があるんだ!」とわかりました。

集団生活は大事、みんな一緒に「なるほど〜!そういうことだったのか…。自分は障害者だったんだ。」と、それまで自分が気付く前にいろんなことが進んでいて、その方向についていくしかありませんでした。

突然の自分が障害者であることを理解し、戸惑いましたし、私も友だちと同じように、自分が障害者だということを言いたくないと思っていました。周りの様子からあまりいいものじゃないみたい、と感じていたからです。

出会いは人を変える!自分の中で変化した気持ち、そして今も…

でもグループホームに入ってお仕事をするようになって、少しずつ自分が変わってきました。

全ての障害者の人が上を向いて歩けるようになったら嬉しいです。私はたくさんの人に出会いながら、生きているうちに自分の中の何かが変わっていったんだと思います。

出会いは人を変えると思います。みんなも変わっていくと思います。もちろん私はまだまだ変化中です。

もっともっと多くの人が関わり合っていく世の中になりますように。

最後に、私の今の楽しみを聞いてください

それは、インテリアを変えて模様替えをしたり、ローズの香りや石鹸の香りに包まれてゆっくり過ごすことと、ボケとツッコミの両方を自分でやる1人コントです。

いつか福祉以外のそんな日常の楽しいお話を皆さんとシェアできたらいいなと思っています。

あ、前回、皆さんに私の夢をお教えしたと思うんですが、もうひとつ新しい夢ができたんですよ。それは、健常者さんの友だちを作ることです。

福祉の現場で働くスタッフのスピーチ「今の仕事の中で~思う・感じる・考える~」

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『子どもたちとの毎日~3年ともに過ごして~』星野碧さん(三浦しらとり園勤務)

大学では幼児教育を専攻、印象に残った知的障害のある子どもとの関わり

私は大学在学中、幼児教育を専攻していました。幼稚園、保育園、知的障害児の入所施設で実習をして、中でも障害のある子どもたちとの関わりがとても印象に残りました。

それまで障害のある方と関わることはほとんどなく、何も知識のない私は漠然と「怖い」というイメージを持っていました。

しかしその後、実習で当事者の方と関わり、その人を知ることで、それぞれの特性を知り、「もっと関わってみたい」「もっと知りたい」と感じるようになりました。

そんな私が入職して3年目の『三浦しらとり園』が、どのような施設であるかをお話しさせていただきます。

『三浦しらとり園』は知的障害のある児童や成人、地域の在宅の方が利用する複合施設

『三浦しらとり園』は知的障害のある児童や成人、そして地域の在宅の方々にも利用していただいている複合施設です。海と山に囲まれ緑豊かで、広々と開放的であるところが魅力の1つです。

入所している方々の暮らしの場は全部で8つの寮があります。8つうち2つは児童課で男子寮、女子寮とあり、残り6つは成人寮となっています。

さらに短期入所や日中一時支援利用なども幅広く受け入れをしています。

専門スタッフによるチーム支援も充実、個別支援計画も半年に1回

園には診療所があり、内科 歯科 耳鼻科など専門の医師が日替わりでおり、何かあった場合には治療や寮内でのケア、あるいは入院など、すぐに診ていただけるようになっています。

また当園では個別支援計画を半年に1回作成しており、作成にあたって支援員の他に栄養士や理学療法士、心理士など数多くの専門職員が携わっています。

私が働く児童課/担当している高校2年生のAさんについて

私が現在担当している児童は養護学校に通う高校2年生の女の子Aさんです。

養護学校と耳にすると皆さんはどのような方が通ってると想像されますか?

Aさんは軽度知的障害であり、ネグレクト養育放棄の背景を持って『しらとり園』に入所して1年半程です。ADL(日常生活動作)という排泄、食事、着替え、コミニケーションなど、日常生活を送るうえで必要な身の回りの動作は、概ね自立しています。

私たちの継続的な支援により、電車を利用しての外出、簡単なお金の計算もできるようになり、現在は単独で学校に通えるようになりました。

ネグレクト経験のある障害児へのサポート

そのうえでAさんにはネグレクト経験のある障害児としてのサポートが必要です。

Aさんは複雑な言語指示の理解、物事の説明や感情のコントロールすることが苦手です。一見、かなりいろいろなことができるように見えますが、長い文章で説明してしまうと断片的には残りますが、要約することが苦手です。そのためわかりやすく短い文章で伝えるよう心がけています。

普段から親和的で年下の児童の面倒を見てくれたり、職員には些細な事でも「ありがとう」とお礼を忘れず、とても優しく接してくれます。

入所当初の加害行為や暴言に、チーム支援を徹底し学校とも連携

そんなAさんが入所して間もない頃、寮のルールに納得できず

  • イライラして扉を蹴る
  • 止めに入った職員を殴る・蹴る

などの加害行為や暴言が止まらず、寮を飛び出したことがありました。

「なぜいけないのか」「そんな話聞いていなかった!」とAさんの中でたくさんの疑問が生じ、納得ができず、職員の話を聞けるような状態ではありませんでした。

しかし入所して1年半、

  • チームメンバーの心理職員にも相談
  • 職員間で統一したチーム支援を徹底

そして、Aさん自身がさまざまな経験をしていく中で、イライラする前に職員と話をすることがとても上手になりました。

Aさんの気持ちを傾聴し、うまく言えない部分は我々職員が代弁します。「私はこう思うんだけどAさんはどう思う?」と他にも選択肢があることを伝え、自分で考える時間を設けるよう支援しています。

またAさんのイライラは学校場面でも起こりうることで、こうした支援は学校と連携を取りながら進めているところです。

現在、児童課には31名が在籍。増える社会的養護を必要とする児童

そんなAさんを含め児童課には、男の子が16名、女の子が15名、計31名が在籍しています。

そして今、障害児施設には社会的養護を必要とする児童の入所が増えています。私が働く女子寮では情緒面で不安定な子や、発作がある子、自閉症など発達障害の子がいます。

また15名中11名が軽度知的障害のある児童です。そうした15名が1つ屋根の下で毎日生活しているので、人間関係でのトラブルが起こります。しかし

  • 「喧嘩をするな」とは言いません。
  • 間違っていることをしたときには注意し、どうすれば良かったのかを一緒に考え振り返ります。
  • 何度も同じことをしてしまっても、繰り返し繰り返し伝えていきます。

根気強く本人に寄り添い関わることで、信頼関係を築くことができるようになってきたと感じているところです。

準備は大変だけど、子どもたちのワクワクのために楽しいことをいっぱい!

そうは言っても楽しいこともいっぱいあり、なんといっても児童課には

  • お花見
  • キャンプ
  • ハロウィン
  • しらとり祭
  • クリスマス会
  • 餅つき

など季節ごとの行事をはじめ、休日には調理をしたり、ゴールデンウィークなどの大型連休には映画外出や、誕生日月には本人が希望する横浜や、新大久保などの場所へ外出などを行います。

正直 準備がとても大変ですが、前日の子どもたちのソワソワ感、当日のワクワク キラキラした表情、今まで嫌がってきたことを本番には、勇気を振り絞って成し遂げる姿など、普段とは違った姿を目にした時はとても嬉しく思います。

支援に正解はない!大変なことも多いけど、エネルギーをいっぱいもらえる仕事

入職して3年になりますが、まだまだわからないことがたくさんあります。

この支援が正しいという正解はなく、日々、寮の職員や心理などの専門職員と相談しながら、子どもたちが生活しやすいよう支援しています。

支援だけでなく、学校や児童相談所、保護者と連絡を取ったり、報告書の作成など事務仕事なども多くとても大変な仕事だと思います。

しかし、子どもたちの笑顔・成長、それから家庭的な雰囲気の中で、ゆっくりと子どもたちと過ごす時間、それらが私の大きなエネルギーになっています。

今後もこのことを忘れず日々の支援にあたり、子供達と一緒に成長していきたいと思います。

・・・

speach.04
『change the concept !!』蒲谷詩織さん(清光園・短期入所施設Peace Color勤務)

プライベートだけじゃない、仕事もとことん楽しくないとダメ!

私は、仕事もプライベートも楽しむということをモットーにしていて、常に笑える環境のなかで生きていこうと決めています。

例えば「仕事は辛いけど、プライベートは楽しいからいいや!」というのは私のなかではナシで、仕事もプライベートも絶対楽しくないとダメだと思っています。

そんな私はお笑いがすごく大好きで休みの日には、1人で劇場に行ったり、関西の芸人が好きなので時間があれば1人で大阪まで行っちゃったりします。

これだけ笑いにこだわっている私が、本気で楽しいって思えるほどこの仕事はおもしろくて、毎日たくさんの笑いに溢れています。

楽しかったボランティアの記憶が今の仕事に就いたきっかけ

そもそも障害福祉の仕事に就いたのは、当時やっていた仕事が嫌だなぁと思っていて、何か楽しい仕事がないかなって考えたときに高校生のときにやったボランティアのことがふと頭に浮かんだからでした。

そのボランティアというのは、障害のある小学生のお子さんとヘルパーさんと当時高校生の私の3人で電車に乗って、洋光台の『こども科学館』に行って、お昼を食べて、また横須賀まで戻って来るというものでした。正直、このボランティアをやったこと自体、ほとんど忘れかけていたのですが、それなのに「何か楽しいこと…」って考えたときにふっと思い出したのは、きっと、「この仕事をやれ!」ってことだと勝手に思って、障害のあるお子さんと関われる仕事をしようと放課後等デイサービスで働き始めました。

障害福祉の世界、最初に働き始めたのは放課後等デイサービス

私の働いていた放課後等デイサービスには、2~16歳ぐらいのお子さんがいましたが、年齢は関係なく、とにかくみんなとっても素直で本当にかわいくって仕事に行く度に私自身がとても癒されていました。それだけでもこの仕事に就いて良かったと思えるし、そんなかわいい子どもたちの成長を身近で感じることができるのはすごく魅力的だと思いました。

例えば、何年間もかけて毎日毎日同じことを練習してやっと「おはよう」と言えるようになったとか、自分で靴下を脱ぐことができたとかそんな些細なことでも、その小さな成長がすっごく嬉しくて職員もみんなで感動して、そのお子さん本人もすごく誉められてとても嬉しそうで、普通に生活していたらなんとも思わないような小さなことで、こんなに感動できるってすごくやりがいのある仕事だなと思います。

その放課後等デイサービスでは約3年半勤務しましたが、障害福祉の仕事にどんどん興味が出てきてしまった私は

  • 他の環境も見てみたい
  • そして今度は障害のある大人の方とも関わってみたい

という思いが強くなり、今年の5月に放課後等デイサービスを退職して、6月から今の清光園の『Peace Color』で働いています。

放課後等デイサービスには、発語のないお子さんが多かったのですが、『Peace Color』には、会話ができる利用者さんもたくさんいるので、例えば、他愛のないおしゃべりをしたり、冗談を言い合ったり、ふざけ合ってみんなで大笑いしたり、私のことを「きれいなお姉さん」とか、「ガッキーよりかわいいよ」って言ってくれる男の子もいたりして、働きはじめてまだ5ヶ月弱ですが、毎日、とっても楽しいです。

もちろん会話のできない利用者さんもいて、そんな利用者さんには、私は返事があろうがなかろうが普通に話しかけるのですが、そうすると表情とか動作で一生懸命思いを伝えてくれて、それがまたすごく嬉しいし、とても可愛らしくて、そこでもまた癒されています。

残念なのは友だちや親戚の反応。『福祉の仕事=大変』というイメージ壊したい!

ただ残念なことに、友だちや親戚に「なんの仕事してるの?」と聞かれて、「障害福祉の仕事だよ」と答えると、大体返事は「大変だね」とか「偉いね」とか「私には無理」とか、もうこれは120%くらい言われます。

確かに楽なことばかりではないのですが、そんなのはどの仕事でも一緒なのにどうして『障害』とか『福祉』の仕事というだけで大変だとか偉いとか言われちゃうのかなというのが私はすごく嫌で、それは私が思うには世の中のイメージばかりが先行しすぎているからだと思うんです。

例えば、『障害者=大変』とか、『介護=辛い』とか、『施設=暗い』とか、職員は、みんなスッピンでジャージで働いてるとか…

だから、私はそんな世の中のイメージをどんどん変えていきたいと思っています。

実際に働いてみると、現場はとても明るいし、もちろん大変なこともあるのですが、その何十倍も何百倍も楽しいです。

利用者さんも本当に素敵な方ばかりでたくさん癒されるし、元気がもらえるし、この仕事に就いてから自分自身も笑うことがすごく増えたと思います。

『職員はお世話をしてあげる、利用者はお世話をしてもらう』という感覚は全くない!

そもそも、仕事をしていて利用者さんのことを障害者だと思うことは全くありません。

職員はお世話をしてあげる、利用者はお世話をしてもらうみたいに思われがちですが、そんなことは全然なくて、利用者さんはいつも私を癒してくれてたくさん元気をくれます。

例えば、風邪をひいたと言えば誰よりも本気で心配してくれるし、つまらない私の冗談にも思いっきり笑ってくれるし、常に私を笑顔にしてくれます。むしろ私の方が日々たくさんのものを与えてもらっていると思っています。

そんな利用者さんに対してお世話をしてあげているなんていう感覚には全然ならなくて、家族や友だちが困っていたら皆さん自然に手助けしますよね。それと同じような感覚、つまり当たり前のことをしている感覚です。

まずは障害のある方とたくさん関わりを持ってほしい、本当の姿を知ってもらいたい

障害者だからとか、健常者だからと考えることは全然ありません。そんな私のような感覚になってくれる人が増えれば、障害があるなし関係なくみんなが自然と助け合って生きていける世の中になるんじゃないかなって思っていますし、そんな世の中になるべきだと思います。

そのためにも、まずは障害のある方とたくさんの関わりをもってもらいたいし、本当の姿を知ってもらえるし、障害ってなんだろうって考えてもらえるきっかけにもなると思います。

ジャージは禁止!?職員や施設のイメージも変わってほしい

それから、私は働く職員のイメージや施設のイメージも変わっていったらいいなと思います。

私の働く『Peace Color』のコンセプト は『福祉にはもっと色があっていい』というもので、利用者さんの使う部屋は個室で、壁紙やインテリアなどもホテルみたいにすごくおしゃれな作りになっています。

職員の制服はみんなアロハシャツを着て、入浴介助以外でのジャージは禁止です。

「福祉の施設はこうじゃなくちゃいけない!」みたいなものにとらわれず、福祉を明るいイメージに近づけることは、すごく大事なことだと思っていて、実際働いていても施設にいるという感じは全然ないし、明るい雰囲気なので夜勤のときも怖くないです。

普段から茶髪にアクセサリー、お化粧もバッチリ!福祉のイメージ改革

私は普段からバッチリお化粧もしているし、アクセサリーもつけているし、髪の毛も茶髪だったり金髪にメッシュが入ってたりとかおしゃれも楽しませてもらっています。

それで仕事に支障をきたすことは全然ありませんし、むしろ中学生の女の子の利用者さんなんかはこんな感じの私にすごく興味を持ってくれて、美容の話で盛り上がったり、そのおかげで仲良くなれたりもしています。

きちんと自信をもって仕事をしていれば見た目なんて関係ないと私は思っているので、今までの「福祉は大変で地味」というイメージを見た目からも壊していきたいと思っています。

こんな小さな地道なことなんですけど少しずつ障害福祉に対するイメージが明るいものに変わるきっかけになってほしいと思っているし、それによって興味を持ってくれる人が増えたらきっと障害のある人と関わることも増えるし、障害者っていうものに対する間違ったイメージもいつか払拭できると思います。

健常者とか障害者とかいう概念すらない世の中になってほしい!

福祉の仕事は特別大変なわけではないし、障害のあるなしは関係ない!みんなが自然体で生活して、困っている人がいれば自然と助け合える。むしろ健常者とか障害者という概念すらない世の中になってほしいというのが、今の私の一番の思いです。

きれいごとだって思われるかもしれませんが、諦めずに取り組んでいれば思い描く未来はきっとつくれると私は信じています。

だから私はこれからも障害福祉の世界に少しずつでも興味を持ってもらえるように固定観念にとらわれずにいろいろ考えてたくさんのことに挑戦していきたいと思います。

・・・

【午後の部】フリーディスカッション
『障害福祉を身近に感じるには!~障害のある方の支援って何~』

司会

岸川学さん(神奈川県立保健福祉大学助教)
僕は今、大学で働いていますが、元々はこの協議会にも入っている『横須賀たんぽぽの里わたげ』という自閉症の方を支援するところで働いてきました。そこでの経験が長いので、今、大学で仕事していますが、自称ソーシャルワーカー、自閉症と知的障害の方の地域生活を支えるソーシャルワーカーで働いてきまして、そのアイデンティティーが捨てきれなくていつまでたっても出世ができないという状況。一緒に仲間だと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。

登壇者

神谷明子さん(学生/ 神奈川県立保健福祉大学4年)
みなさんほどたいした話はできないんですけども、学生の立場から何か話せることがあればな、と思います。
よろしくお願いします。

 

梶山卓也さん(障害福祉現場職員/ 清光ホーム)
私は武山地区にあります社会福祉法人清光会清光ホームという障害者支援施設で働いています。ここにいる皆さんとザックザク話をして、こういうことを思っているんだというところを感じていただければいいな、と思っています。

 

里吉恵さん(障害福祉現場職員/ 社会福祉法人 みなと舎ゆう)
今は社会福祉法人みなと舎さんにお世話になっています。普段は週に3日がヘルパー事業所で働いていて、週に1回はグループホームで夜勤をしている形がオーソドックスな1週間という感じです。神奈川県立保健福祉大学の1期生として卒業しまして、卒業して以来、ずっとみなと舎にお世話になって10年くらいたったところです。今日はみなさんの話なども聞けたらなと思うので、楽しく過ごせていけたらいいなと思っております。

五本木愛(障害当事者の親/一般社団法人 sukasuka-ippo 代表理事)
私は当事者家族ということで、私の娘が小学校1年生になるんですけどもアンジェルマン症候群という遺伝子疾患で知的と身体に障害があります。娘の障害をきっかけに知り合った仲間たちと一緒に一般社団法人sukasuka-ippoというウェブサイトの運営をしております。

早速ですが、まずは出会いについてお聞きします。福祉の世界に行き着いたようなエピソードやストーリーを伺ってみたいんのですが、いかがでしょうか?

梶山さん 僕は、特に大学で社会福祉の勉強をしてきたわけでもなく、その仕事をしたいと思って生きてきたわけでもなく、大学は東京のある大学で経済学部で学んできました。福祉のお仕事に興味を持ったきっかけは、母がグループホームで世話人をしていて、僕自身が就職活動をしていく中で自分がしていけばいいのかと迷っている中で、母から「福祉の仕事はとっても良い仕事だよ」というのを一言、ポンと言われて、それで「福祉ってどういう仕事なんだろうな」と思ったのが、まず仕事を知ったきっかけです。深く考えてこの仕事で頑張っていこうというような熱い気持ちは学生の時にはなかったですね。

僕は学生時代に飲食店やホテルのバーなど、色々なバイトをしてきましたが、就職活動をしている時に、実家の近くにあった今の職場『清光ホーム』で実習をさせていただけないかなと思って、自分で連絡をして実習をさせていただいたんです。そして、その時初めて福祉施設で働いて、まず思ったのは「みんな優しいな」ということ。職員さんも利用者さんも、素人の僕を無条件で受け入れてくれたのがすごく印象に残っていました。今までいろんなバイトをする中で、色々な人間模様がありましたが、その中でも清光ホームの職員さんの優しさは特別で、「ここで皆さんと一緒に働きたいな」って思ったのを今でもよく覚えていて、それが障害福祉の仕事に就くきっかけだったのかなと。

そしてまた、関わってくれた利用者さんがものすごく優しくて、僕は遊びに行ってるつもりはなくて、支援をしてるつもりだったんですが、「また遊びにきてね」と言われて、そういうふうに思ってくれることに、すごく素直で心がきれいな方々だなと思ったのを今でも覚えています。それが関わりたいなと思ったきっかけです。

里吉さん 私が大学進学を考える時期に、ちょうど横須賀に大学ができるという話が出て、大学に進学するならそこしかない、と思い、進学するにあたって逆に自分がどんなことをしたいかを考え始めたのがきっかけです。元々、今はもうない医療ソーシャルワークコースに進みたいと思っていました。その理由としては福祉、というよりも自分が普段接する機会の少い人たちの人生に関わってみたい、という思いがあったんじゃないかと思います。

今、働いている『みなと舎』とは、学校のゲストスピーカーとしてゆうのメンバーさんとスタッフの方が来てくださったのが最初の出会いですが、その後、仕事を探していたときに、非常勤として勤務できる条件が合ったのと自分が知っていた所だったというところで選んだところはあります。仕事をするなら横須賀の中で役立っていきたいというのは思っていました。

五本木 私は、子どもが多くて、上から高校1年生、中学3年生、小学校6年生、そして障害を持つ小学校1年生の娘がいます。その娘が生まれるまでは、障害の世界は正直、他人事でした。ダウン症のお子さんがいるお友だちもいましたが、大変そうだなというぐらいの気持ちでいました。

末娘を生ん1歳になるくらいまでは、通常より成長が少しゆっくりかなあというぐらいで、障害には気づきませんでした。1歳になる頃、

  • 歩く気配が全くない
  • 手遊びも一切できない
  • 斜視が強い(これはのちにアンジェルマン症候群の特徴とわかりましたが)

などがが気になって、これはなにがあるぞということで、近所の小児科や眼科を受診し、県立こども医療センターにすぐ紹介状を書かれて、そこで初めて、我が子に障害があるかもしれないと気づきました。

正直、人生でこれほど落ちこんだことはないというくらい落ち込んで、期間にしたら2か月くらいなんですが、毎日何をしても涙がぽろぽろ出てくるという時期がありました。でも家族の前で泣くわけにはいかないので、上の子たちが学校に行って、主人が仕事に行って、娘と2人でいるときに、ひたすら泣き続けるという感じ。

そんな日々を過ごしていたときに、「私はこの子より先に逝く、泣いてばかりじゃいられない」と思って、スイッチが入り、ちょっと前に進んでいこうと方向転換をして、障害福祉のほうに携わるようになりました。

岸川先生 sukasuka-ippo(すかすかいっぽ)というサイト名は、『進もう』という気持ちの現れなんですね。

神谷さん 私もそれまで、福祉には全然興味がなかったんですが、小学校のときに『ぼくの歩く道』という、草彅剛さんが主演されていた自閉症の方が主人公のドラマを見て、失礼だったら申し訳ないんですが、「おもしろいな」と。そのドラマの主人公は、カレーが好きなんですが、カレーはカレーでも、チキンカレーしか食べなくて、チキンカレーがないと「俺はチキンカレー」って言い続ける。その行動が、当時小学生だった私には、「この人、おもしろい」と。でも調べてみると、障害のある人の特徴的な行動という説明があって、それがきっかけで「障害ってなんだろう」と興味を持つようになりました。

障害福祉を変えたいというような熱い思いがあったわけではなて、福祉大に入ったのも安いからという理由でしたが、福祉にちゃんと興味をもったのは高校生です。

岸川先生 県大は私立と比べて学費安いというのは確かにありますからね。出会いはそれぞれ、自分から意図して飛び込んだというよりは、なんとなく流れだったり、そんなきっかけがあったわけですよね。

障害福祉の仕事に就いたとき、あるいは関わりはじめたときの気持ちの変化はありましたか?

里吉さん 医療ソーシャルワーカーを目指すというところで入りはしたんですけど、在学中はいろいろなゲストスピーカーとしていろんな障害のある方から話を聞いたり、LGBTの方をはじめいろいろな方と出会って、そのボランティアをしていました。特に医療福祉と関係なくても、障害のある人のボランティアに行くなどして過ごしていました。

その中で自分は支援をしているとか、助けてあげたいとか、今も昔もあまり思ったことはなくて、その人に興味があるというか、その人と過ごすにはどうしたらいいかというところをずっと考えています。逆にその方たちが私を受け入れてくれるから、そこにいるということもあります。

『みなと舎ゆう』に入るときも今も、「この仕事は私に向いているのか?」ということを考えていますし、人とコミニュケーションを取ったり、その中にいるのがすごく苦手だと感じる時もあるので、時々、無性に1人になりたくなるし、美術館の学芸員さんみたいにシーンとした所で静かに1日仕事したいな…と感じる時もあります。

それでもなんとなく、ここにとどまり続けているのが自分でも不思議ではありますが、いろんな方の人生に関わる、障害のあるご本人もそうですし、御家族もそうですし、人生に触れるっていう仕事はなかなかないので、そこに対する好奇心もあります。好奇心を持つからには自分ができる、それが支援といわれるものかもしれませんけれど、身体的な介護なり、一緒にサービスを考えていくことなりも両立させていかなければいけないなという責任感もあるかもしれません。

神谷さん 大学に入ってから障害のある方とか、お子さんと関わるボランティアをやらせてもらってて、最初はやっぱりうまく話せなくて、何を言っても通じない時とかもあったんですけど、大体の人は時間をかけたり話し方を工夫したりすると通じることがわかってきました。

4年間、福祉大学で過ごして、ここの学生はそういうのに理解あるというか、障害のあるなしは特別なことではないと思っている人が多いんですけど、私の高校の友だちの多くはみんな東京の普通の大学に行っていて、差別までいかなくても、そこまで障害について理解しようとしている人もいないように思います。

今、県大にいることで逆に感覚が麻痺しているのもあるんですが、実際に自分がこの春、大学を卒業して就職して、周りが県大生みたいな人じゃない世界に飛び込む中で、自分が4年間やってきたことがムダににならないとよいなと思ったりもしています。

五本木 私は子どもが多いので、娘に障害があることがわかって泣いているわけにもいかないですし、目まぐるしく生活をしなければならなくて、まずは自分の中で気持ちの整理をつけて解決していかなければいけないという部分が大きかったです。

うちの娘はアンジェルマン症候群という遺伝子疾患になるのですが、15番目の染色体に異常が出る、それはお母さんのほうの染色体にあたるんです。遺伝子を調べて、そいういう結果が出た時に、私の責任だとどうして感じてしまったんですよね。

そこの部分が家族と共有することが難しかった部分で、主人は「そんなことは関係ない。お前が何か悪いことをしたわけでもない」とその時も今も言ってくれますが、やっぱり母親としてお腹を痛めて産んで、障害がわかって、それがお母さんの染色体異常だと言われた現実を受け止めきるのは辛かったです。

ただ、毎日毎日が当たり前にあっという間に過ぎていく上の子たちの子育てと違って、成長がゆっくりな娘の育児では、小さな成長のひとつひとつを大きく喜べることに気付いて、それは初めての感覚でした。そういう気持ちを積み重ねながら、少しずつ私も「この子はこんなに頑張って成長している。私も泣いてばっかりいられないよね」と気持ちを切り替え、「この子がもっともっと成長するためには、お母さんとして何がわたしに何ができるんだろうか?」ということを考えるようになりました。

岸川先生 できることが少しずつ増えていくのは、支援している皆さんも学生のボランティアで関わっている人も、私の経験でもありました。私はずっと大人の人を支援してきて、「30歳を過ぎてから1人でお風呂に入れるようになりました」という方もいらっしゃって、その時は本当に嬉しかったのを覚えています。

私自身ものすごい壁にぶち当たってそれこそ燃え尽きた経験もあります。みなさんも日々の小さな喜びだけでは解消できないような壁にぶつかるってこともあると思うんです。そのあたりのストーリーを含めてお伺いしたいのですが、いかがですか?

梶山さん 仕事をしているといっぱい壁ってあると思うんですが、僕は清光ホームに勤めて最初の約2年目くらいで一度、退職させていただきました。と言うのは、大学を卒業して入ったので就職したのは22歳の時で、周りに福祉の仕事をしている友だちはいなくて、みんな株式会社とか様々でしたが、そういう話を聞いているとなんだか羨ましくなって、「自分もちょっと違う仕事をしてみたいな、何かもっとすごいことできるんじゃないか」って勝手に変な勘違いをして、無理を言って退職させてもらったんです。

ちょうど、知り合いから「飲食店をやってみないか」と誘われて、本当に興味本位で何も考えずにその話を受けました。でも、いなくなって初めて気づく大切さとかってあるじゃないですか、恋人じゃないですけど。なんかその感覚にすごく似ていて、清光ホームを辞めてから「あぁ、自分は良い仕事してたんだなぁ」とか「皆さん、何してるかなぁ」ってものすごく気になって、そこで初めて「あぁ、あの仕事好きだったんだな」と気付いたんですね。

それで、誘われて始めた東京の職場をわりとすぐに退職して、横須賀に戻ってからはペンキ屋さんとかいろんなことをやっていたんですが、そんな生活をしていたら今の施設長が「こっちに戻ってきてるんだったら、また一緒に仕事をやりませんか?」と声を掛けてくださって、「もう一度チャンスをいただけるのなら、いっぱい壁はありますけど、もう1回大変な思いをしてでもこの素敵な仕事をやりたい!」と思ったのが、今、僕がここにいられる理由かもしれません。あの時、一度辞めていなかったら、この仕事のありがたみもわかっていなかったかもしれないし、こんな良い仕事だと思っていなかったかもしれません。

里吉さん 私は、多分負けず嫌いなところがあるので、今ここで辞めたとしてもきっとどこかで後悔するという思いがあるので何か壁に感じたとしても、続けていけるのかなって思います。あとは、本当に今の職場で上司の方の助けがあって、中堅職員の研修で出会うたくさんの方々、同じ業界の方々など、今の福祉の仕事を通して自分の見方が広がることを実感しているので、壁があっても乗り越えてきているのだと思います。

学生が支援に関わることについて、家族はどんな気持ち?

神谷さん 私はボランティアで、障害のある方と関わったり、周りでもグループホームのアルバイトをしている人が多いのですが、専門職の人ではなく学生が支援に関わることをご家族はどういう気持ちで見ているのか気になります。

五本木 色々な考えがあると思いますが、私自身は家族としてすごく嬉しく思います。もちろん専門職の方に支援してもらう安心感はあると思いますが、ひとりでも多くの人に我が子と関わってほしいと私は思うので、学生ボランティアの方に限らず、近所の方でもお友だちでも接してくれることはとてもありがたいと思いますし、そういうチャンスをもっと作ってくれたらいいなと思います。

当事者と接する中で嬉しかったことを聞かせてください

岸川先生 では当事者のご家族である五本木さんの方から、支援される立場であったりとか、今福祉を学んでる学生に対して聞いてみたいこととかありますか。

五本木 まず、支援をしてくださっている方というか、今、当事者の方と接するなかで、最近でこれが一番うれしかった、喜びだったというエピソードがあったら教えていただきたいなと。

梶山さん 入所中の60歳くらいになられる女性の方が、先日、千葉の旅行に行かれたときに、一緒に行けなかった僕にお土産を買ってきてくれたんですね。それが千葉の名産の落花生だったんです。僕の好みを知ってくれていて、その細やかなやさしさがものすごく嬉しかったですね。「買ってきてね」なんて頼んでいないのに、自分から買ってきてくれたので、ものすごくありがたいし、あたたかい気持ちになりました。

里吉さん 『ゆう』のメンバーさんは重度の障害の方がほとんどなので、言葉によるコミュニケーションがなかなか難しいし、表情にあまり表れない方もいます。ある時、笑っている泣いているというのではない顔の動き、全体的な雰囲気で、「今日はこれからどこに行くんだろうって思ってるんですかね?」とお母さんに尋ねたら、「そうそう!そんな感じよね~」って同意してくれたことがあって、ご本人はそう思ってないかもしれませんが、私の読みが当たってるのかなと思える瞬間は楽しいです。

働いているスタッフや従事者さんがもっと胸を張って頑張れる世界に!

神谷さん 先ほど、私が福祉に関心をもったきっかけがドラマだというお話をしましたが、以降も障害を扱ったドラマが気になったりするんですが、いつも思うのが、障害の当事者さんとかご家族をテーマにした作品は多いと思いますが、働いているスタッフや従事者さんにスポットを当てたものってあんまりないんじゃないかなって思って。

介護についても、大変な仕事として描かれる傾向があって、当事者さんも頑張ってるけど、それを支えてる職員さんがもうちょっと世の中に出てきてもいいんじゃないかなと思います。

自分の中では悪い仕事とは思っていないし、むしろ就きたいと思ってるんですが、やっぱり一般の仕事からすると、下に見られてたり、給料が低いというのもあると思うので、もうちょっと福祉の世界で働いてる方に陽が当たる…もうちょっと前に出ていけるような社会になっていけばいいと思います。需要は絶対あると思うし、福祉業界で働いている人が胸を張れる世界になればいいんじゃいいんじゃないかなと思ってます。

五本木さんは保護者の立場でサイトを立ち上げ、活動の幅を広げている最中だと思いますが、その辺を伺ってもよろしいですか?

五本木 私たちは今、ウェブサイトの運営をしていますが、元々は横須賀市療育相談センターの通園部門・ひまわり園の保護者会が原点で、色々な障害者団体の会議に出席した時に、当事者の親なのに知らないことがこんなにあるんだと驚いたんですね。幼少期の親でも知っておかなくてはいけないことでも、普通に生活していると情報はなかなか入ってこない。

なので、自分たちが知りたいことを取材して、調べて、ウェブサイトで発信して多くの人と共有するというところから発展して、当事者と言われる自分たちの子どもの生き方をより良いものにするために必要だと思うものを作っていくことを考えるようになっています。来年2018年4月からは横須賀市久里浜で障害のあるなしに関わらず一緒に過ごせるインクルーシブ学童を立ち上げようと今、動いています。

あともう1つは、この11月にはホームページが立ち上がって始動するのが、横須賀商工会議所と連携して、在宅のワーカーと企業のアウトソーシングのニーズをピンポイントで繋ぐ『よこすかテレワーク』という事業です。障害を持つ子のお母さんは、なかなか働きに出る時間を持てないので、在宅でできる仕事をその人が得意なところに繋げられると障害児の家族の社会生活も確保できるのかなと。

私は前に出ることが多いので勘違いされることが多いのですが、私自身ができることは本当に少なくて、サイト運営も学童運営もメンバーのスキルで動いていて、そうやってみんなの力でみんなが生きやすい社会の土台を作っているという期待と実感を感じていますし、更にいうと娘の障害によって私自身も多くの出会いや経験をさせてもらっていることに本当に感謝します。

ないものを作っていく力『ソーシャルアクション』が制度を作る!?

岸川先生 学生はもう耳にタコができるくらい聞いていると思いますが、ソーシャルワークの中に『ソーシャルアクション』というのがあって、『ないものは作っていく』ということなんですね。作っていくためには、やはり誰かが頑張らなくてはいけないし、作った後で制度がついてくるんですよね。

なので、まず一歩踏み出さなければ、制度もできていかないわけなんですが、そういった意味では本当にすごいソーシャルアクションされているんだなぁっていう風に感じました。

支援困難=支援者が協力し合えないということの困難

岸川先生 僕自身の経験では、いわゆる『支援困難事例』とか大変なケースにもどうしても出会うことがあって、だけどその時に感じたのは、色々な人が協力し合いながら、同じ方向に向かって支援をしていって、少しでもよくなった時の喜びはホントに大きかったんですよね。例えば行政の人にも入ってもらって、病院の人にも入ってもらって、私たち支援員も入って、家族にも入ってもらって、一生懸命作戦会議をして、それでうまくいった時はすごく嬉しかった。

例えば、自閉症の人がハンカチをビショビショに濡らして、それをポケットに入れて、そこのポケットに入ってるからそこが四角く濡れている。じゃあどうするのか。ビニール袋に入れさせようとか、ハンカチ取り上げようとか色々なアイデアがてんでばらばらに出てると、それ自体が本当にストレスだったわけなんですよね。

だから支援困難というのは、利用者さんや家族が困難なのではなくて、支援者が協力し合えないということが困難だと思ってるんです。だから同じ方向で支援した時の楽しさなんかもあると思うんですが、そういった経験とかって、梶山さんも里吉さんも絶対あると確信しています。

梶山さん 毎日、いろんなことがあって、いろんなことを考えなくてはいけない中で、入所の方の平均年齢が64歳を超えていて、
医療の当たり前と、生活支援の当たり前って全然違うなと実感します。ターミナルケアについて、僕たちはこういうことしたほうがいいと思っても、医療のほうではそんなことしなくていいとか、いろんな専門職の人がいて、共通理解って大事だなと。

里吉さん 普段から医療関係の方との関わりも多いのですが、研修に参加したときに、チームの中でゆるやかな同意を得ていくといいんじゃないかと思います。日々、細かい業務のことを決めていかなければいけないけれど、ドクターの立場、ナースの立場、行政の立場のことを知っておくことが大切で、信頼関係があるならば、その人がどうしてそう言ったのかを理解することができます。

岸川先生 そういった意味では、やはり信頼関係がとても大事になってくるんだろうなと感じました。

県立保健福祉大学で看護や栄養、リハビリテーション、社会福祉といういろんな領域の専門職を学んでいく上で感じていることはありますか?

神谷さん 看護の人は、気が強いように思います。それはたぶん、直接的に命にかかわるのは医師・看護師なので、実習などでも手術を見たり、亡くなる瞬間に立ち会うことも多いからかなと思います。

理学・作業の人たちは、とても細かくて、知名度的には低いかもしれませんが、専門職気質あるなと感じます。

栄養の人は、あまり専門職という感じではありませんが、身近でやわらかい感じがします。

私が目指したいと思っている社会福祉士は一番普通で、ほんわかしてる印象です。ユニフォームがないのは社会福祉士だけなんですが、でもそれが社福っぽいのかなと。

4年間勉強していて、「私は何をしているんだろう、何になるんだろう」と悩むことがあります。社会福祉士って何をやるの?って聞かれると、いまだにうまく答えられないんですが、一番身近な専門職なんだろうなと。自信を持ちたいと思います。

岸川先生 社会福祉士は象徴がないんですよね。でも裏を返せば、身体ひとつで勝負できる。それぞれの能力が重なったところで力を発揮できると思うんですね。

五本木 保護者の立場でチームプレーを考えると、子どもの顔が、学校、放課後デイ、家とで、全て違うことが問題だなと感じます。3者の連携をとるのが難しくて、ここではこんなことできるけど、こっちではこういうことやってみようかとかいうような段階だったりというところに、不便さを感じています。

岸川先生 資源同士が繋がっていない…大事なご指摘ですね。この障害福祉カフェというのは、それぞれの事業所を紹介して、求人を行うだけではなく、支援者同士の連携の場所でもあるので、顔の見える関係だと頼みやすくなるわけですよね。人に頼む、助けを求めるということがとても大事、そういったチャンスにつながっていけばいいなと思います。

最後に皆さんの夢を教えてください

里吉さん これからもいろんな方々と繋がっていきたいですし、支援する、支援されるではなく、それが当たり前の生活のなかで共に暮らしていくというのが、自然にできると良いなと思います。いろんな人がそこにいる世界がいいと思うし、今まで障害のある人を囲ってきてしまった部分が福祉の業界にはあるので…。

五本木 私たちは、当事者の親という立場ですが、支援される側という意識だけでなく、自分たちも行動に移すことで、支援する・されるの垣根を少しでも減らせるように、受け身だった当事者の保護者ももっと外に出て、いろんな方と出会って、自ら関わっていけるように働きかけていきたいと思います。

神谷さん 福祉の仕事に就いている方が、恥ずかしさを感じることなく、胸を張って言えるような仕事になればいいと思います。支援支援って言いすぎると、息苦しくなるでしょうし、行き過ぎた支援はただの差別だと思うんです。障害のある当事者が、「わたしは障害者でもなんでもない!ただの人間です!」って言える社会になればいいと思います。

梶山さん 今後も、困っている人を助けるというより、幸せな人がひとりでも増えるようにと考えてやっていきたい。福祉の視点でやっていけることを横のつながりを意識しながらチームプレーで!

・・・

各ブースの紹介 ※順不同

【復興支援ブース】
被災地を応援!東北3県・熊本の施設の物品を販売

【社会福祉法人 みなと舎】ゆう・ライフゆう

【社会福祉法人 清光会】清光ホーム・清光園・希望のひかり・Peace Color

【社会福祉法人 清和会】三浦しらとり園

【社会福祉法人 よこすか黎明会】横須賀ヘーメット

【社会福祉法人 誠心会】茜洋舎・働く家しらかば

【社会福祉法人 知恵の光会】フロムワン福祉園・知恵の光荘

【社会福祉法人 なないろ】トライ・長沢ベーカリー/グループホーム ほっと・ホット

【社会福祉法人 海風会】海風学園・いちばん星

【社会福祉法人 三育福祉会】シャローム浦上台

【社会福祉法人 横須賀基督教社会館】

子どもも楽しめるワークショップも開催

▲『元気パン』の美味しいコッペパンのミニチュアサイズ

▲成型された年度に色づけしてすぐに完成!

最後に集合写真!これだけの人たちが熱い思いで『障害福祉CAFE』を開催しています。


▲サイト記事でもおなじみ、小1自閉症のキャベツが何を思ったのかトコトコ歩いて最前列真ん中に着席!?みなさま温かく歓迎してくれました。ありがとうございます!

2017.10.21
よこすか障害福祉CAFE 2017 AUTUMN@神奈川県立保健福祉大学
主催/横須賀市障害関係施設協議会

取材/ 五本木愛・misa・pototon
写真・加工/ pototon・ゆっぴー
テープ起こし/misa・kayoko・reiko・がらっぱち・ハタ坊・ゆっぴー・ゆかねこ
文・構成/ Yuka Kaneko
編集/ takeshima satoko

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『自分たちが足りないと思うこと、欲しいと思うものを自分たちで作り上げていく』を現実に!夢を1つずつ叶えるために!
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